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2019年12月03日22:40

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裁判員裁判

裁判員制度が始まってちょうど10年になる。
また裁判員裁判で死刑の判決が出ていたのが二審で覆され最高裁で二審が支持されたため、無期懲役が確定した。
一般市民が裁判に参加するということで裁判員裁判がはじまったが、裁判官と市民の共同作業ではあるが裁判員裁判の判決で量刑が出るということは市民も量刑を決めることになる。
市民にとって死刑判決を出すということは非常に大きなストレスとなるだろう。そうやって出した死刑判決が上級審でひっくり返されるということは一体市民が裁判に参加するという意味はどこにあるのだろう?
だいいち市民が量刑を決めるならば裁判官など不要のはずだ。

欧米では陪審員制度というのがあるが、これは事実認定だけで(有罪か無罪か)量刑はプロの専門家が行う。
陪審員が有罪の判決を出せば裁判所はそれに従って量刑を決定する。
これのほうがよっぽど理にかなっているような気がする。

市民が参加して国民の目で裁判に携わるのが目的ならば、市民が出した量刑をひっくり返してしまうならば我々が裁判にかかわる意味もないし必要もない。
裁判員裁判は始まって日が浅いので不都合なところは変えていくならばいいと思うが、今のまま硬直しているならば裁判員裁判などやめてしまったほうがいいと思う。なにも死刑判決が無期懲役になったから駄目だということではなく、その逆でも同じことだ。量刑は上級審が正しいというならば裁判員裁判で量刑など出さなければいい。

このようなことを考えていると昔見た映画で『十二人の怒れる男』というのがあったのを思い出した。また去年見直したドイツの裁判劇も思い出した。
ドイツの裁判劇=https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1967320121&owner_id=39904538



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