吹田市立博物館では「大塩平八郎展 四海困窮いたし候はば・・・」を開催中です。「四海困窮いたし候はば」は彼の有名な檄文の出だしの一節です。去る16日(土)、17日とクイズラリーを担当してきました。クイズラリーを行ふと、皆さんがキャプションをよく見て効率的に展示物を鑑賞できます。満点の方には博物館特製ファイルを進呈しました。
大阪の文人で与力であった大塩と吹田の関係は博物館の解説によると「天保4年(1833年)頃から天候不順による全国的な飢饉が起こり、大坂でも餓死者が続出しました。天保8年2月、もと大坂町与力で陽明学者の大塩平八郎は門下生・農民達とともに政治をただすために挙兵します。
大塩平八郎の叔父であった吹田村西宮神社(現泉殿宮)の神主宮脇志摩は、乱の収束が早かったため参加できずに切腹しました。大塩の書は吹田の庄屋に残されており、大塩の教えを受けた人びとが吹田にも多くいました。大塩平八郎の乱が起きた背景と、大塩平八郎と吹田との関わりを紹介します。」とあります。
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