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2021年01月20日10:01

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映画『日本独立』がついに描いた日本国憲法の真実

あまりに粗雑で一方的だった米軍による憲法案起草

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飛行するB29(1945年、米空軍撮影/パブリックドメイン)

(古森 義久:産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授)

「ついに出たか」というのが私の実感だった。

日本国憲法がどのように作られたのかをここまで現実通りに描いた作品は、

映画に留まらずテレビドラマ、歴史書、学術論文など、どの分野を見渡しても

日本ではまずないだろう、と感じた。

最近、封切られた日本映画『日本独立』(2020年12月18日公開)を見ての率直な感想である。

今、あえてこの映画について報告するのは、決して作品の宣伝をするためではない。

戦後の日本にとって最も重要といえる憲法についての歴史の展開が、

これほど簡明に実際の歴史どおりに報告されることは、

私の知る限りまずなかったと思えるからだ。

だからその歴史の現実を伝え、知るには、この映画の紹介が好材料だと感じた次第である。

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■米軍の将校十数人が一気に起草

日本の憲法が、占領下の1946年(昭和21年)2月に米軍総司令部(GHQ)の米軍人たちによって

いかにあわただしく作成されたか、私はその経緯を、作成にあたった当事者から

詳しく聞いた数少ない日本人の1人である。

その当事者が語った実際の歴史は、今回の映画で描かれた経緯とほぼ同じだった。

実際の歴史をこれほど正確に伝えた表現や描写の記録を私は知らない。

つまり日本国憲法の草案作りの実態は、歴史として正確に語られることが

ほとんどなかったのだ。

ただし、その骨子はすでに多方面で多様な資料によって明確となっている。

日本国憲法は、日本がアメリカをはじめとする連合国の占領下にあった

1946年2月3日からの10日ほどの期間に、米軍の将校十数人により一気に書き上げられた。

この将校団は連合国軍総司令部(GHQ)の民政局次長だった

チャールズ・ケーディス米陸軍大佐を実務責任者としていた。

「連合国軍」といっても主体は米軍だったのだ。

ケーディス大佐の直属の上官は民政局の局長のコートニー・ホイットニー准将、

さらにその上官は連合軍最高司令官のダグラス・マッカーサー元帥だった。

日本の新憲法を作成するにあたって、GHQは当初、日本側にその起草を命じた。

命を受けた時の幣原喜重郎内閣は松本烝治国務大臣にその起草を任せた。

まもなくその草案ができたが、GHQは一蹴してしまった。

「内容が十分に民主主義的ではない」という理由だった。

その結果、GHQ自身が日本の新憲法を書くことを急遽決定した。

そしてその実務がケーディス大佐に委ねられたのだ。

□反論の余地なく押し付けられた

映画『日本独立』は、その米国製の憲法案を押しつけられた日本側の責任者たちの

米国との交渉、苦闘を描いている。

その筋書きは歴史どおり、米国のGHQが独断で書いた憲法草案を、

「日本政府が自主的に書いた」という虚構とともに

日本側にそのまま受け入れることを強制する、という展開だった。

出演は浅野忠信、小林薫、宮沢りえ、松重豊、柄本明、浅田美代子といったスターたちだ。

監督は、かつて東条英機にユニークな光をあてた映画

『プライド・運命の瞬間』を作った超ベテランの伊藤俊也である。

映画のストーリーは、幣原内閣の外相の吉田茂、そして

その知己の国際派実業家だった白洲次郎に焦点を合わせ、

「日本を独立国ではなく、まったくの隷属国として扱っている」
(白洲次郎の言葉)米国への反発を追っていく。

だが、結局は米国の命令どおりに事態は進んでいく。

この映画の展開は、私にとってきわめて新鮮に感じられた。

なぜならこれまでの日本では、憲法をめぐる論議がこれほど長く、

これほど広く進められてきても、憲法草案が占領軍の米軍によってすべて作られ、

日本側にはなんの反論の余地もないまま、そのとおりに受け入れさせられたという事実が

明示されることはまずなかったからだ。

その意味で、この映画は重要だといえる。改憲にしても、護憲にしても、

まず現在の日本の憲法がどんな経緯で、どんな環境下で作成されたかを客観的に知ることは、

憲法問題への取り組みの第一歩だからである。

これまでの日本の憲法論議では、その事実認定の第一歩がきちんと踏み出されていないのだ。

■真の主役、第9条を書いたケーディス大佐

映画『日本独立』では、米国側のマッカーサー、ホイットニー、ケーディスという

重要人物たちも頻繁に登場し、日本側代表と衝突する。

だが当然ながら戦争の勝者の占領軍はほぼ100パーセント、その意思を押し通していった。

この映画では、そのやり取りがわかりやすく、ドラマティックに活写されていた。

その結果、書き上げられた日本国憲法案は、3月13日に日本側の幣原内閣に提示された。

日本側は内容を不満だとして抵抗を試みたが、しょせんは戦争の勝者と敗者の関係である。

ふつうの独立国家であれば、考えられない戦力の不保持や戦争の放棄、

さらには自衛の放棄までをうたうような憲法案を受け入れざるをえなかった。

米国側の意図はもちろん日本を二度と軍事強国にさせないということだった。

そのためには、たとえ自国を守るためでも「戦力」や「戦争」は禁止するという意図だったのだ。

その米側の多数の登場人物たちの間でも、真の主役はやはりケーディス大佐である。

GHQでの肩書は民政局の次長だった。

ケーディスは当時39歳、コーネル大学、ハーバード大学の出身で、

戦前からすでに弁護士として活動していた。

1941年12月に米国が日本やドイツとの戦争に入ると、陸軍に入り、

参謀本部で勤務した後、フランス戦線で活動した。

日本には1945年8月の日本の降伏後すぐに赴任して、GHQで働くようになった。

そして赴任の翌年の2月に憲法草案作成の実務責任者となった。

私はそのケーディスに1981年4月、面会し、日本国憲法作成の経緯を詳しく聞く機会を得た。

場所は、当時75歳の彼が勤務していたニューヨークのウォール街の大手法律事務所だった。

私の質問に、彼は時には用意した資料をみながら、なんでもためらわずに答えてくれた。

結局4時間近くの質疑応答となった。

私は彼の話から日本国憲法作成の状況の異様さに衝撃を受け続けた。

なにしろ手続きがあまりに大ざっぱだったからだ。

日本側への対処があまりに一方的な押しつけに徹していたからでもあった。

そもそも戦勝国が占領中の旧敵国に受け入れを強制した憲法なのだから

当然なのかもしれないが、それにしても、なんと粗雑な点が多かったのかと驚かされた。

彼の言によれば、起草は都内の各大学図書館から

他の諸国の憲法内容を集めることから始まり、後に「マッカーサー・ノート」と呼ばれる

黄色の用紙に殴り書きされた天皇の地位や戦争の放棄など

簡単な基本指針だけが盛り込むべき内容として指示されていた。

「私自身が書くことになった第9条の目的は、日本を永久に非武装にしておくことでした。

しかも上司からのノートでは、戦争の放棄は『自国の安全保障のためでも』となっていました。

この部分は私の一存で削りました。どの国も固有の自衛の権利は有しているからです」

ケーディスは後に日本側から「芦田修正案」が出されたときも、

自分の判断だけでOKを与えたという。

この修正案は9条の第2項の冒頭に「前項の目的を達するため」という字句を挿入することで、

固有の自衛権を認め、自衛隊保持の根拠を供した。

憲法草案のこうした枢要な部分は、上司のホイットニー民政局長や

マッカーサー元帥の承認を事後に得てはいるが、ケーディスの判断だけでも済んだという。
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■最大の目的は日本の永久非武装化

このインタビューでケーディス元大佐が私に語った内容の主要点は以下のとおりであった。

1)憲法草案の最大の目的は日本を永久に非武装にしておくことだった。

2)草案の指針は日本の自国防衛の権利までを否定する意図だったが、

 自分の一存でその部分を削った。上司の了解は事後に得た。

3)「天皇は日本国の象徴」という表現もアメリカ政府の事前の指示にはなく、

 ケーディスら実務担当者が思いついた。

4)第9条の発案者はマッカーサー元帥か、幣原喜重郎首相か、天皇か、

 あるいは他のだれかなのか、自分にもいまだにわからないままである。

5)アメリカ側は、日本政府が新憲法を受け入れない場合は国民投票にかけるという

 圧力をかけたが、日本側の受け入れには選択の余地はないとみていた。


以上の5点からも、現在の日本国憲法は日本の占領下に米軍によって書かれ、

なおかつ押しつけられたことがあまりにも明白である。

しかも日本を永久に非武装にして自国の防衛の能力や意思をも奪おうとしたのだ。

戦後の日本は、自国の防衛という主権行為の権利さえも制約された

「半国家」にされたと言っても過言ではない。

日本国憲法は、あまりにも異常な条件下で、占領する側が一方的に作成した憲法だった。

その実態が、憲法案作成から75年近くが過ぎたいま、

映画のなかでやっと正確に再現されるようになったというわけである。

これも令和という新時代になったからこそ、なのだろうか。

映画「日本独立」公式サイト
https://nippon-dokuritsu.com/
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