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2021年01月01日20:34

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在日韓国・朝鮮人のタブー、朝鮮進駐軍 (その4)

それぞれの企業の代表者を調べれば中国式(朝鮮式)の名前です。

名前が日本風であっても通名である場合もあります。

そしてその他の風俗店、焼肉屋などにも多いです。

なぜ強制的に連れて来られたと騙っている彼らが、差別が酷かったと騙りながらも、
今のように駅前で莫大な富を生み出す違法な賭博場を開けるまでになったのでしょうか…。

終戦直後、駅前には闇市が出来上がり商売に適した場となりました。

当時、自分達を三国人と称して、自分達には治外法権が認められていると勘違いし、

日本の闇市を席巻していたのは朝鮮半島出身者達でした。

彼らは「在日朝鮮人連盟」という自治団体を結成し、

その組織の力をバックにやりたい事をやりまくりました。

警察署でさえ武器を手に持ち押し入って、
留置所から仲間を連れ出すことさえやってのけました。

(全ての朝鮮人がそうであったとは言いません。しかし、同胞の不正に目を瞑っているというのは酷い事です。)

悲しい事にこの勢力に対抗できるのはヤクザしかいませんでした。

この事を、今のマスコミも教科書も伝えませんが、
こんな酷い話を載せる事を編集者は怖がります。

それが元で憎悪が広がりかねませんから。

そしてマスコミも教科書もこの事を書けないのは、

常に朝鮮系の圧力団体(朝鮮総聯や韓国民潭)や

政治的な圧力団体からの圧力があるからです。

教科書などはいつも圧力団体の抗議にさらされていますね。

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Q)日本の教科書に内政干渉と韓国の捏造教科書

こういった事実を書くと、必ず「それは民族差別である」という方が居られます。

しかし、在った事を書けば差別で、見て見ぬ振りをすれば差別ではないのでしょうか?

これは民族差別ではなく、犯罪者差別です。

日本人には民族という概念は薄く、犯罪者を嫌う、という感覚が有ると思います。

むしろ民族、民族と口やかましいのは外国人であったりします。

最近まで、北朝鮮の拉致はでっちあげだと言っていた人たちがいます。

マスコミは拉致事件を大きく取り上げませんでした。

同じように、パチンコの問題も嘘で塗り固められ、マスコミは沈黙したままです。

で、不法占拠に関して言えば、駅前一等地をどんどん奪っていったというわけではなく、

空襲などが激しくて殆ど元の住人がいなくなった地区単位で丸ごと奪ったという例を
(神戸のある地区や柏市など朝鮮人部落などと評された地域のことを)よく聞きます。

Q)在日による不法占拠

なぜこういった不法占拠が既成事実化してしまうところまで放置されてしまったのかは、

弱者であることを強みにして暴力や脅迫などで民闘連を推し進めてきた成果でしょう。

新聞でちらっと書くだけで脅迫・暴行の対象になる訳ですから、

ましてや教科書なんかには残るはずもない話であります。

在日朝鮮・韓国人は不幸の民でもなんでもない。

在日朝鮮・韓国人は元々半島で差別を受けていた白丁という奴隷階級。

日本との併合で白丁たちは解放されたけど、

それでも差別が強かったためにろくな職業につくことができず日本へ渡ってきた。

強制連行でもなんでもない。しかも大半が密航。

関東大震災で朝鮮人が井戸に毒を投げたとかいうデマが広がって、

いまだにそのことを捏造してギャアギャア騒いでるけど、

なんの根拠もなくそういう噂が広まったわけじゃない。

朝鮮人は、震災で倒壊した建物から金品を盗み出したりしていて、

それを戻ってきた住民に見つかって問い詰められると

「ココワタシノイエ!」などと開き直って家主を唖然とさせた。

それまでの東京は、家に鍵を掛けなくても泥棒なんて滅多に入らないほど

治安がよかったけど、それからはみんな家に鍵を掛けるようになった。

Q)関東大震災の朝鮮人の暴力

戦後に到っては、戦勝国でもなんでもないのに

(※大韓民国臨時政府は国際的に正式な臨時政府と認められていませんでした。
日本と韓国は当時同じ国だったから敗戦国)

「独立だ!オレたちは戦勝国民だ!」と宣って、各地でレイプや略奪を繰り返していました。

田舎に疎開していた人たちが家に戻ってくると、いつの間にか家が朝鮮人に乗っ取られていて

「朝鮮勝った!おまえら負けた!この家はおれのものだ!」と言って、

元の住民は、ここが自分の土地だと証明する書類も戦争でなくしてしまい、

どうすることもできなかったそうです。

駅前って、パチンコ屋だの金融業者が多いじゃないですか。

あれって、大半が戦後に在日朝鮮人が不法占拠した土地なんですよ
(※パチンコ屋と金融業は8〜9割が在日企業)。

在日は民潭や総連など暴力団ともつながりのある組織とつながっているため、

元の地主は取り返すことができず、田舎でほそぼそと暮らしているらしいです。

さらに許せないことは、戦後の混乱しているときに、

朝鮮人は神風特攻隊の飛行服を着て悪逆非道を行っていたということです。

わざわざ国のために死んでいった人たちを貶めるために!

これは現在の街宣右翼と呼ばれているひとたちも同じで、

彼らの目的は愛国心=軍国・民族主義と一般人に刷り込むことです。

考えてもみてください、威圧的な車に乗って軍歌を大音量で流してるような人たちを

普通の人が見て、こころよく思うはずがありませんよね。

彼らの大半も、日本の弱体化を狙う在日や中国人です。

あげく、最近の在日は、自分達にも参政権を寄こせとか言ってくる!

外国人に地方参政権なんかあげたら最後、

韓国が領有権を主張している竹島や対馬に集団で移り住んで

自治宣言→韓国領に編入されてしまいます!

在日が日本を愛しているわけがないんです。

いや、そもそも本当にこの国を思っているのなら、

帰化して日本国籍を取ればいいじゃないですか。

テレビなんかでいかに在日が不幸な民かをやっているけど、

本当に彼らの言ってることが正しいのか、自分で様々な資料をよく調べて、考えてみよう!

2007年4月25日、今回、警視庁は1974年に渡辺秀子さんの2人の子供が北朝鮮に

拉致された事件で、渡辺さんの夫が勤めていた朝鮮問題研究所など、4箇所を捜索した。

2007年2月6日、税理士法違反の疑いで朝鮮総連兵庫県本部などを正当に

家宅捜索する兵庫県警の警察官や機動隊に対して、

集団で暴言や妄言を吐き何の躊躇いもなく暴れまわる在日朝鮮人らの映像です。



2009年7月18日 鶴橋駅前

【拉致被害者救出 街頭署名】 妨害する乱入者達

=== 韓国・朝鮮人が日本にしたこと ===

1、20世紀初頭、朝鮮は実質的に国が破綻状態で外国(中国・欧米・ロシア)から
  侵略されそうになったので、当時軍事強国だった日本に併合してほしいと救いを求める。

2、日本はいやいやながらも朝鮮に同情し併合を認め、内鮮一体のスローガンのもと
   多大な資本を投入して朝鮮の国つくりに協力。
  韓国の皇帝は天皇陛下に次ぐ高い地位を与えられ、
多くの朝鮮人が日本に来て学問・技術・芸術を学ぶ。

3、大東亜戦争時は日本の臣民として共に欧米と戦い、朝鮮からも多くの志願兵が集まる。

4、ところが日本が敗戦すると手のひらを返したように日本を裏切る。
  急に日本は敗戦国で朝鮮は戦勝国だと言い始め、
日本の法律だけでなくGHQの命令も無視して、略奪・レイプ・殺人やりたい放題。

5、農家を襲って食料を奪いヤミ市で大もうけ、さらに土地の不法占拠・覚醒剤の密売
  当時朝鮮が混乱していたこともあり、日本を自分達のものにしようと役所や警察を襲って
占拠、税金は一切払わず、税金を徴収に来た国税局の職員にケガをさせることも・・・
   あまりの横暴ぶりにマッカーサーが激怒し
朝鮮は戦勝国ではない第三国だと宣言する (三国人の由来)

6、一方朝鮮半島では「ヨーコの話」や「和夫一家惨殺物語」にも出てくるように
   日本人女性を襲ってレイプし放題。被害に遭った女性はすべて泣き寝入り。

7、さらに、朝鮮人はアメリカのWGIPに習い日本人を洗脳し内部から支配することを計画。
  不法行為で儲けた資金力にものを言わせマスコミ・教育界・法曹界への影響力を強め
  「日本は極悪な加害者・朝鮮は善良な被害者」という図式を作り出し
   日本人に罪悪感をもたせるシステムを確立する。

8、在日特権・竹島侵略・従軍慰安婦詐欺
   これらは朝鮮人がお人好しの日本人を騙すことで得られた成果であると言える。

9、次の目的は『外国人参政権』『人権擁護法案』

フォト


■朝鮮半島での出来事:和夫一家惨殺物語

(親日派のための弁明より)未翻訳部分
私は生粋の韓国人だ。

でも、韓国人というものがあまりにも情けなく、えいっと殺してしまいたいときがある。

なぜ日本の蛮行は暴くのに自分たちの汚い利己心と低劣な鍋根性には目をつぶるのか?
 
日帝時代、朝鮮に移り住んだ日本人の中には,明らかに立派な人々も多かった。

ところが、和夫一家殺害事件のように韓国人は自分たちの間違いを

日本がやったから俺たちもやったんだというふうに弁明し事件を矮小化、
隠蔽しようと躍起になっている。

以下は和夫夫婦が死んだ日ふだん彼から深い恩を受けていた
金ソンス君が見聞きしたことを記録した証言だ。

事件当時、金ソンス君も加害者だったが殺害行為には同調しなかったそうだ。

和夫氏は日帝時代によく見られた慶尚道地方の日本人地主だった。

地主とはいうものの和夫の家族は日本政府の朝鮮移住政策にしたがって

乗り気ではなかった朝鮮生活を始めたものだ。

公務員だった和夫は政府の命令にしたがって仕方なく朝鮮へ赴任したのだ。

そのころの日本は一種の軍事独裁体制で政府の命令に従わなければ

すぐに売国奴として排斥されそうな雰囲気があったという。

当時、朝鮮にいた日本人地主のなかには朝鮮人の小作人たちから

法の規定以上の小作料を取り立てる怪しからぬ人々もいたが、
ふだんから人情味の厚かった和夫は、小作料を収穫全体の十分の一とし
村人たちを家族のようにみなして喜びも悲しみもともにした。

自分たちの生活が困らなかったので総督府の法令にしたがって
やむをえず受け取らなければならない最小限の小作料だけをとったのだった。

貧しい小作人が食料がないと泣きつけば喜んで食べるものを分けてやったし
村で誰かの葬礼があれば、家族総出で駆けつけ食事の支度はもちろん
自ら慟哭して悲しみを分かちあうこともあった。

このように,和夫は人間への温かい愛情をもった真の人間だった。

また、和夫は近くに行き場のない孤児がいると連れ帰って面倒を見ていたが

その数は一、二人と増え四、五年たつといつのまにか私設孤児院規模にまで増えてしまった。

けれども和夫夫婦はこれら孤児たちを家族のように愛し自ら喜んで彼らの父母を称した。

和夫の家族は、ふだんこのように朝鮮人を愛し
日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。

しかし彼らは,日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日

自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより凄惨に殺害されたのだ。

その日から、万歳(マンセー)の声とともに太極旗が翻り、ついに朝鮮人の世がやってきた。

神は自分が受けるべき朝鮮人の愛を横取りしたと、和夫君に嫉妬したのだろうか。

和夫が実の子のように育て、東京帝国大学にまで留学させたAを中心に、

和夫の家で教育を受け成人するまで育ててもらった青年たちが、

鎌とツルハシ、シャベルをもって和夫のもとに押しかけた。

当時、その場にいたキム・ソンス君は、このときのことを次のように証言している。

和夫:(優しい目で)なぜこんなことを。お前たち。

A:チョッパリ!日本へ失せろ。失せろってんだ。

和夫:(わざと怒り声で)私がお前たちに何か間違ったことをしたかい?
お前たちはみんな私の子供だし、私はこの家の家長でありお前たちの父親だ。
お前たちの祖国が独立することは、私も日ごろから強く望んできたことだ。
踊りたくなるような嬉しい日に、なんだって凶器をもって私のところに詰め掛けてきたんだ。
私はお前たちをこんな風に教育した覚えはない。(涙を流して)本当に哀しい、朝鮮の子供たち。
私は愛情を注いで育ててきたが、結局、日本人と朝鮮人は交じり合うことは
できないということなのか。
お前たちが望むんなら、帰ってやろう。

A:意味深な目配せをBに送る
(財産を全部処分して帰ったら、俺たちはどうやって食ってくんだ?)

B:死ね、チョッパリ、この糞野郎!

次々にツルハシが和夫の後頭部に振り下ろされ、それと同時に

たくさんのシャベルと鎌が体をずたずたに引き裂きはじめた。

和夫の妻は耐えられずに飛び出してきた。それまでじっとしていたCは和夫の妻を見ると、

彼女の髪をつかんで庭の片隅まで引きずっていった。

そして、なんと十三人は、 一週間前までお母さんと呼んでいた彼女を強姦しはじめた。
(キム・ソンス君はこの場で自分が止めたなら、自分も殺されていただろうと語る)

彼女はひどい集団強姦の途中で死亡した。

Dは普段お母さんと呼んでいた彼女の全身を滅多刺しにし、

それでも内臓を掻き出して撒き散らした。

和夫にはひみこという娘が一人いた。普段、模範的でよい子だったひみこは、

学校が終わって家に戻り両親に起きた惨状を見ると、気が触れてしまった。

当時、ひみこの慟哭が何日も続き、近所の住民たちは眠れなかったという。

その後、孤児となったひみこは食べ物乞いに村を回ったが、誰一人見向きもせず、

知らないふりをした。

結局、彼女は九日後、村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。

ひみこは小学六年生だった。

和夫の財産は「勇猛で愛国心に燃える」朝鮮青年たちの手に丸ごと渡り、

この事件は村人たちの沈黙の中で徐々に忘れ去られていった。

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(親日派のための弁明)金完燮

草思社 ISBN:9784794211521
扶桑社 ISBN:9784594048334


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