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2020年12月21日16:12

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在日韓国・朝鮮人のタブー、朝鮮進駐軍 (その2)

「戦勝国民」と名乗る在日朝鮮人暴徒たちは、通りすがりの市民に言いがかりをつけ

集団暴行をはたらく。

無銭飲食は当たり前、白昼に目に付いた婦女子を路上で集団強姦するなどを、

日常茶飯事に繰り返した。

在日朝鮮人は「戦勝国民」と名乗り、武装して、町をのし歩いた。

彼らは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を闊歩した。

腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を振り回しては、

手当たり次第に日本人を殺傷、暴行し、略奪の限りを尽くした。

通りすがりの通行人の目つきが気に入らぬといっては難くせをつけ、

無銭飲食をし、白昼の路上で婦女子にいたずらをした。

善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。

こうした不良分子は旧日本軍の陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。

袖に腕章をつけ、 半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、

肩で風を切って街をのし歩いた。

警官が駆けつけても手も足もでない。

フォト


終戦後の警官が、一切の銃器の所持が許されていなかったのをよいことにして、

「おれたちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人がなにをいうか」

と、丸腰警官を殴り、ド突き回し、警備用の木刀や飾りのサーベルをヘシ曲げた。

終戦後の第三国人どもは本当に酷かった。

軍の兵器を盗んで来たらしく、三八式歩兵銃や南部式拳銃で武装し、小銃には着剣して

強盗強姦傷害恐喝脅迫不動産窃盗、時には殺人まで、経済犯、実力犯を中心に

あらゆる悪事を重ねていた。

銀座、浅草、新宿は朝鮮人、新橋、渋谷は台湾人に支配され、

政府も警察も動揺し、手を拱いていた。

戦勝国民は治外法権だったのである。

だから食管法に限らず、戦勝国民には日本法を適用出来なかった。

服部時計店や白木屋も米軍の酒歩(PX)に接収され、そこへ行けば

食料に限らず物資は山ほどあった。

日本人は買えなかったが。そうした情勢に便乗し、朝鮮人は戦勝国民だの「三国人」を

僭称して堂々と闇商売を行い、派手に稼いでいた。

Q)なぜ朝鮮人は治外法権だったか?
そりゃ儲かるだろう。警察の検問を竹槍日本刀を振り回して強行突破したのだから

当時は物不足で、売る方は素人でも出来た。仕入れこそ難しかった。

彼等は日本人露天商を襲って商品を奪う。

それで警察が黙認して捕まえないのだから、こりゃあ損のしようが無い。

警察が襲撃されることしきりで、署長が叩きのめされたり、

捜査主任が手錠を賭けられ半殺しにされるぐらいは珍しからず。

上野で朝鮮人経営の焼肉屋へ国税局査察部が査察に行った際、

大金庫を開けて手を入れた瞬間を狙って二十人ぐらいで一斉に金庫の扉を押したものだから

査察官は腕を切断されてしまった。

当時は警察署が襲撃される事が珍しくなく、第三国人の襲来によって犯人を奪還された

富坂警察署事件、ついでに警官が殺された渋谷警察署事件、共産党が大群で警察署を包囲し

外部との連絡を遮断「攻城戦」に出た平警察署事件等、枚挙に暇有りませんでした。

東京東部(すなわち大東京の中心地)北郊の荒川、古利根−中川、江戸川、

利根川流域の牛は皆いなくなった。

当時、あの辺は畜力として農耕牛を使っていたが、深夜、不良朝鮮人が侵入して来て盗み出し、

河原へひいて行って屠殺した。

牛はモウと言って泣いたので皆気付いたが、

銃砲刀剣で武装しているので追う訳には行かなかった。

永年愛育し、慈しんで来た牛が悲しそうに泣きながらズルズル引き出され

殺されるのを傍観するのは無念で耐え難かったが、手向えば殺されるので何も出来なかった。

そうして利根川水系流域一帯の牛は皆、不良朝鮮人に盗まれ、殺され、闇市で売られた。

この辺へも、新聞紙に包んだ肉塊を売りに来たものだ。

上流で屠殺した牛を、そのまま下流へ売りに来たのだろう。

かくて南関東から、牛はいなくなった。

家畜相手ならまだしも、人間に対しても、関東以西の大都市を中心に、

日本中に灰神楽が立つような勢で数多犯罪を重ねた。

川崎、浜松、大阪、神戸などが酷かった。

その最も著しい象徴的事例に、 元文部大臣、後の首相・鳩山一郎氏に対する

集団暴行・傷害事件がある。

翁が軽井沢の静養先から帰京しようとして信越本線の汽車に乗っていたら、

例の「三国人」が後から大勢、切符も買はず、鉄道員を突き飛ばし押入って来て、

「俺達は戦勝国民だ、おまえら被支配者の敗戦国民が座って

支配者様を立たせるとは生意気だ、

この車両は戦勝国民が接収するから全員立って他の車両へ移動しろ、愚図愚図するな!」

と追い立てた。

それで鳩山氏が、我々はきちんと切符を買って座っているのに

そりゃおかしい、と一乗客として穏やかに抗議したら、

たちまち大勢飛び掛かって袋叩きにし、鳩山翁を半殺しにした。

幸にして重体にも重傷にも至らなかったが、

頭部裂傷だか顔面挫傷だか忘れたが、血に塗れ腫れ上がった痛々しい顔で帰京した。

直後に総理大臣に成る程の大物でもかくのごとし。

いわんや庶民におては 土地も屋敷も物資も操も、奪い放題であった。

闇、賭博、傷害、強盗事件が多く、ことには、空襲や疎開で一時的に空いている土地が

片端から強奪された。

今、朝鮮人が駅前の一等地でパチンコ屋や焼肉屋を営業しているのは、

皆、あの時奪った被災者の土地だ。

それでも警察は手が出せなかった。

歴代首相大臣等が絞首刑になって行く状況で、警察ごときに何が出来よう。

ある日、警察は何月何日を以て廃止す、再び登庁するを許さず、と命ぜられれば、

それ切り警察は消滅する。

七百万の大軍を擁した彼の帝国陸海軍ですら、左様にして両総長 両大臣以下、

自然廃官になった。

まこと敗戦は悲しからずや。

たまりかねた警察が密かにやくざに頼み込み「浜松大戦争」になった訳だが、

「小戦争」は日本中に頻発した。

最後の頼みの綱は連合国軍であったが、遂にはその憲兵隊でも手に負えぬ

非常事態に立ち至った。

それでさすがに米軍も腹に据えかね、日本本土全域の占領を担当していた

米第八軍司令官アイケルバーガー中将が、関東と言はず関西と言はず、

はたまた北九州と言はず、 不良朝鮮人活動地域に正規戦闘部隊の大軍を出動させ、

街頭に布陣して簡易陣地を築き、 重装甲車両を並べ、人の背丈程に大きな重機関銃を構え

不良朝鮮人共にピタリと狙いをつけ、ようやく鎮圧した。

我々はその火器のきらめきを間近に見た。

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この時、連合軍総司令官ダグラス・マッカーサー元帥の発した布告が、

「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」

と言い声名で、これぞ「第三国人」なる語のおこりである。

だから、外国人差別用語なはずは無い。

彼等自身、マッカーサー元帥以下、一人残らず皆、外国人ではないか。

連合国軍総司令官は、日本人に対してこそ絶大な権勢を振ったが、

本国や同盟国、対日理事会や極東委員会に気を使わねばならぬ

外交センスの要る役職であった。

何人にもせよ、敗戦国民以外を、声名発してまで差別なんぞする筈が無い。

「第三国人」の語は、国際法に則って説いた技術的専門用語に過ぎない。

終戦後の朝鮮人の横暴は目に余るものであった。



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