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2020年06月30日01:17

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コリアン(朝鮮民族、韓国人・北朝鮮人)が認めたがらない歴史的事実 その1

朝鮮民族が、朝鮮が起源だとか、狂った主張をしている様々な事柄です。

・稲作が九州から朝鮮半島に伝わったこと

・唐辛子が日本から朝鮮に伝わったこと(足袋(たび)に入れて足を温めるものとして朝鮮半島に持ち込まれたのが唐辛子)

・半島南部の先住民が日本人(倭人)であったこと

・新羅の建国時の宰相が日本人(倭人)であり、王家の二つが倭人系統であること、また始祖の朴赫居世についても日本人説(倭人説)があること

・百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあったこと

・大和朝廷による任那(伽耶)地域の支配があったこと(半島南部における多数の前方後円墳の存在)

・朝鮮半島における文化的独自性が欠落していること(あらゆる分野での古典の不在)

・属国として歩んできた歴史であること(漢民族・モンゴル民族・満洲民族のどの民族からも朝鮮民族は格下扱いされてきた)

・中国の属国になってから、みずから改名して、中国語の姓名であること

・秀吉の朝鮮出兵が日本と明の戦争であったこと(李氏朝鮮の軍は明の軍の指揮下に入り、和平交渉も日本と明の間で行われた)

・李氏朝鮮王が、中国の地方長官の地位でしかなかったこと

・清から、李氏朝鮮が琉球とベトナムよりも格下に扱われていたこと

・李氏朝鮮の前の高麗では、元の命令で、王妃が代々モンゴル人であり、モンゴル人の母親から生まれた息子しか国王になれなかったこと

・朝鮮半島の国が、歴史上一度も、単独では戦争に勝ったことがないこと(朝鮮民族と組んだ国も戦争に勝てない。高麗と組んだ元の元寇、大韓帝国を併合した大日本帝国の大東亜戦争)

・朝鮮民族が雑多な民族の集まりであること

・ハングルで表記できない発音がいくつもあること

・チマチョゴリが、子を産んだ女性は胸を露出して着る服であったこと

・朝鮮半島に唐辛子が広まったのは、塩の代わりの調味料だったこと

・李氏朝鮮の時代に、木を丸くする技術がなくて、二輪車がなかったこと

・秀吉が朝鮮に出兵した時に、秀吉側について明と戦った朝鮮人がたくさんいたこと

・馬に乗って戦っている倭寇がいて、日本人じゃない倭寇がいたこと

・日本に文明を教えてあげたと主張する王仁博士の出身地に、王仁博士の一族の末裔も王という姓の人もいないこと

・竹島が古代から一貫して日本の領土であったこと

・テーブルで肉を焼く料理法は戦後、日本から韓国に伝わったこと

・文盲だった朝鮮人にハングルを教えることにしてハングルを広めたのは日本人であること

・高麗の時代には、済州島は元の直轄地で、元の領土だったこと

・朝鮮戦争前はむろん、朝鮮戦争後もずっと、韓国人は白米を常食にできなかったこと

・朝鮮半島の国は中国の国に朝貢するにも朝貢する文物がないので女性を献上していたこと

・大韓帝国(李氏朝鮮)の外国からの莫大な借金を、日本が代わりに支払ってやったこと

・大韓帝国(李氏朝鮮)の李王家の帰国を大韓民国(現在の韓国)が拒否していて、大韓帝国と大韓民国は別の国であるので、大韓帝国併合については韓国人(大韓民国人)には言及できないこと

・2000年近い朝鮮半島の歴史の中で、朝鮮半島を統一した独立国家としての歴史は、936年から963年までの高麗の27年間と、1895年から1910年までの李氏朝鮮(1897年から大韓帝国と改称)の15年間しかないこと

・朝鮮という国名にしたのは明だが、他国に自国の国号を決めてもらった世界にただ一つの国であること

・百済と新羅の時代に朝鮮半島に住んでいた日本人が文明人として他の民族から尊敬されていたこと

・百済と新羅から帰化した人からの朝鮮語の伝搬が見られないことから、帰化人とは朝鮮半島に住んでいた日本人であったこと(帰化人を渡来人というのは誤り。文字通り帰ってきた人達。朝鮮半島からの帰化人は引き揚げ者)

・昔から今まで常に日本列島が朝鮮半島よりも文明文化が進んでいたこと

・済州島には朝鮮民族とは別の言語・風習を持っていた、朝鮮とは別の民族が住んでいたにもかかわらず、済州島を併合してしまったこと

・1948年に、済州島の民族を大虐殺したこと

・済州島の民族の言語とアイヌ語に共通な語があって、済州島には日本列島と同じ民族が住んでいたこと

・元寇の兵の大半は高麗人(朝鮮民族)だったこと(韓国では元寇を元の「日本征伐」としていて、高麗人が元寇の主力兵だったことを教えていない)

まだまだ続きますよ!!【その2】をご期待ください!!
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