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2019年12月15日13:35

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種子法廃止で日本が「遺伝子組換え作物」の氾濫国へ!(その3)

■生きるための種が「売るための種」へ

種には2つの法体系がある。それが「種子法」と「種苗法」だ。

種苗法は「品種の育成の振興と種苗の流通の適正化を通しての

農林水産業の発展に寄与する」ことを目的としていて、エフワン種のような品種育成をした

人や企業のパテント(知的財産権)を保護することを目的としている。

種子法が「食料の生産につながるような種子を安定的に確保する」ことを目的とするのとは

全く異なるのだが、この種子法を廃止し、種苗法の付則で種子法の制度の一部を

引き継ぐというのだ。

では種子法の「品種の育成の振興と種苗の流通の適正化を通しての

農林水産業の発展に寄与する」という目的はどうなるのか。

これを壊して「生きるための種」から、「売るための種」へと変質させるのが廃止の真の目的だ。

「国連人権宣言」の条文に、「経済的・社会的及び文化的権利に関する社会権規約」がある。

締約国は「すべての者に技術的及び科学的知識を十分に利用することにより、

栄養に関する原則についての知識を普及させることにより並びに天然資源の

最も効果的な開発及び利用を達成するように農地制度を発展させ、または

改革することにより、食糧の生産、保存及び分配の方法を改善すること」と書かれている。

これが失われるのだから、こういう実態になる。

「人々に食の権利はなく、ただ大企業のみが技術的及び科学的知識を持ち、

人々は栄養に関する知識も知らず、天然資源の効率的な使用もできずに、

食糧の生産・保存・分配ができなくなる」ことになる。

■まったく信用できない「遺伝子組み換えでない」の表示

遺伝子組み換え作物には「Btコーン」と呼ばれるものもある。

これはコーンを食べた害虫の腸が破裂して、死んでしまうというモノだ。

すべての生物は消化管から発達したとする説もあるぐらい消化管は大事な組織だ。

これに穴が開いてしまうと、消化した後の排せつ物が体内に回ってしまう。

体内というのは消化しやすい温度の中に消化しやすい内臓があるのだから、

消化する微生物は生物を内側から食べまくってしまう。

この「リーキーガット(漏れる腸)」という疾患もまた、人間に増えている。

こうした遺伝子組み換え作物が身の回りに増えてきている。

まず第一に「遺伝子組み換え」が問題なのだから、遺伝子が分解されている

「加工品ならいい」と表示しなくていいことになって、「味噌・醤油・油」の原料に使われている。

さらに素材の5%以下なら「遺伝子組み換えでない」と表示できることになっているため、

「遺伝子組み換えでない」と書かれていても信用できない。

さらに多い成分量から3位以下なら「遺伝子組み換えでない」と表示できる。要はザルなのだ。

■飼料として日本に輸出される遺伝子組み換え作物

もっと深刻なのは、アメリカで遺伝子組み換え作物は売れなくなり、

急激に非・遺伝子組み換え作物の消費が伸びている。

そのため余ってしまった遺伝子組み換え作物は、畜産の飼料として日本に輸出されている。

かつては「非遺伝子組み換え作物」のコーンを輸入していた日本は、

遺伝子組み換え作物をどんどん輸入せざるを得なくなっている。

もう外堀は埋められ、あとは国内の生産さえ開始できればいいのだ。

今回の「主要農産物種子法の廃止」は、アメリカの圧力のせいだとも言われているが、

現にアメリカでもこうなっている。

アメリカの多くの州では「公共種(州立大学、他の大学、他の自治体からの供給)が

半分近くを占めていた。

それが減らされ、その分を「モンサント」「シンジェンタ」等の企業が支配した。

法規制された種を解禁すると、そこにアグリビジネスが入り込むのだ。

こうした全体の流れからすると、すでにモンサントと協力・提携・買収してきた

「日産化学」や「住友化学」「三菱モンサント社(現三菱MKV)」などは

参加を画策していることだろう。

これらの会社は種子法廃止を足掛かりにして、公共財だった主要農作物の種の譲渡を受け、

遺伝子組み換え事業に参入しようとしてくるだろう。

■種子法廃止で苦しむか、別な社会を求めるか

今回の「種子法廃止」の目的は、ここまで調べると明白だろう。

「種を制する者は農業を制する」のだ。

その傍らで農薬被害の子どもたちの「要指導児童」の増加に苦しみ、

多くなる疾病と安心できない食品に苦しみ、高くなる種は買えず

生産者は農奴化することになるのだ。

すると当然、効くかどうかに関わりなく製薬会社が儲かる。

アメリカでは日本で「要指導児童」と呼ばれる子どもたちに薬を出し、

大きな収入源としているのだ。

一方インターネットと宅配の発達により、直接生産者と連携を図る方法があるかもしれない。

世界的にはアグリビジネスの流れに対抗して、人々の「生態系を守る農業のあり方や

社会のあり方を求める科学や運動」としてアグロエコロジー運動が広がってきている。

「農」とは大企業のものなのか、それとも人々が生きるためのものなのか、

それを問われる時代になった。

もう一度、生命の循環の輪の1つとして、誰もが関われる「農」に戻して考えてみたい。

種は自然から与えられた生きるための糧だった。それを再度、人々の手に戻すべきではないか。





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