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2022年05月04日22:51

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親愛なる同志たちへ(ロシア語: Дорогие товарищи!)

 「暴走機関車」などで知られるロシアの巨匠アンドレイ・コンチャロフスキーが、冷戦下のソ連で30年間も隠蔽された民衆弾圧事件を題材に撮りあげた社会派サスペンス。1962年6月1日、ソ連南部ノボチェルカッスクの機関車工場で大規模なストライキが発生した。フルシチョフ政権が目指した豊かな共産主義統治にも陰りが見え始め、生活に困窮した労働者たちが物価高騰や給与カットに抗議の意思を示したのだ。危機感を抱いたフルシチョフ政権は、スト鎮静化と情報遮断のために現地へ高官を派遣。そして翌日、約5000人のデモ隊や市民に対して無差別に銃撃が行われる。広場がすさまじいパニックに陥る中、熱心な共産党員として長らく国家に忠誠を誓ってきたリューダは、18歳の愛娘スヴェッカの行方を捜して奔走する。リューダを演じるのは、コンチャロフスキー監督作「パラダイス」でも主演を務めたユリア・ビソツカヤ。2020年・第77回ベネチア国際映画祭で審査員特別賞を受賞した。(映画.comより)





<2022年5月3日 劇場鑑賞>

 こんなバリバリのロシア映画が、ちゃんと封切られてるって、ちょっと驚きかも。しかも、主人公リューダは生粋の共産党員で、市(ノボチェルカッスク)の生活委員(?)。党を信じて生きてきた女性なのです。お互いを呼ぶときも「同志○○」と呼んでて、中国映画みたいです(笑)。当たり前か。

 スターリン亡き後、フルシチョフ政権になってからは物価は上がる、賃金はカットされる、とうとう爆発したノボチェルカッスク市民たちは暴動を起こします。しかし、こんなことは、社会主義の国では想定外。市幹部もビビるばかりで手は打てず、中央からは責められるし、右往左往です。そのうち市の警察が動員され、空に向かって銃を撃ち始め、市民を鎮めようとします。ところが、どさくさに紛れて多数の市民が撃たれて倒れていくのです。阿鼻叫喚の中央広場。なんでこういうことになっているのか。実は、他の市町村に波及すること(知られること)を恐れた中央政府が、KGBのスナイパーを派遣して市民を虐殺していたのです。

 リューダは熱心な党員ですが、老父はコサックの軍服を持つ元軍人、娘は「こんなに私たちが虐げられるなんて、間違っている!」とデモを支持する若い年代。信条一つ取っても、複雑です。為政者が変わるとスターリンが急に貶められたことに老父は反感を覚えているし、リューダも「スターリンの時代は物価は下がった」と郷愁を感じているくらいです。でも、党に対する忠誠心は変わらないつもりでした。しかし、狂乱のデモ以降、娘が見つからない。デモを支持する娘を責めたことがあるゆえ、目立つ行動を起こしたのも自分のせいかも、と考えたり。周りの党員は、もう中央の役人に対するゴマすりを始めていて、あれだけの人が亡くなったというのに、デモが収まったことに対する賛美ばかり。娘が見つからないリューダは、さすがに気分が悪くなり、意見発表の場を逃げ出してしまいます。

 とこの辺までは、なんとなく理解しながら見ていたのですが、主人公リューダが娘を探し回るところから、あんまりわからなくなります。確かにリューダはキリっと美しい女性だとは思うのですが、KGBのそこそこ地位のある男性がすごく協力的だったり(単に好意があっただけかもしれませんが)、党幹部か市幹部かKGBか見分けがつかなかったのですが、そんな人が「まぁわかるよな」と弱者に理解を示す発言をしたり、誰がどんな立場だったのかわからんようになってくるのです。私の頭が悪いだけかもしれませんが。

 この「ノボチェルカッスクの虐殺」は、ソ連の「1962年の血の日曜日」と言われる史実だそうですね。映画が作られたのは今のウクライナ侵攻が始まる前だから、全然関係はないのでしょうけれど、素人の私は、今これが封切られたことに驚くとともに、国家権力の怖さを改めて感じた次第です。そうは言っても、資本主義・社会主義のどちらも長所、短所があるのでしょうけれど。
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