mixiユーザー(id:39816565)

2020年02月28日15:14

77 view

家族を想うとき(Sorry We Missed You)


 「麦の穂をゆらす風」「わたしは、ダニエル・ブレイク」と2度にわたり、カンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールを受賞した、イギリスの巨匠ケン・ローチ監督作品。現代が抱えるさまざまな労働問題に直面しながら、力強く生きるある家族の姿が描かれる。イギリス、ニューカッスルに暮らすターナー家。フランチャイズの宅配ドライバーとして独立した父のリッキーは、過酷な現場で時間に追われながらも念願であるマイホーム購入の夢をかなえるため懸命に働いている。そんな夫をサポートする妻のアビーもまた、パートタイムの介護福祉士として時間外まで1日中働いていた。家族の幸せのためを思っての仕事が、いつしか家族が一緒に顔を合わせる時間を奪い、高校生のセブと小学生のライザ・ジェーンは寂しさを募らせてゆく。そんな中、リッキーがある事件に巻き込まれてしまう。2019年・第72回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品。(映画.comより)









 ある、こういうこと、ある。なにかの拍子に(それは自分のせいではなくても)仕事を失う、あるいは変わらざるを得なくなり、何かが一つ崩れると他のものも音を立てて崩れてしまい、どんなに努力しても悪い方にしか転ばない。「一人親方」として宅配を始めた父親だって、真面目だし仕事もできる。介護の仕事をしている母親だって”どんな高齢者に対しても優しく”と、とても心掛けよく働いている。無理難題を言う高齢者だって、悪い人ではない。また、主人公たちの子供たち(息子と娘)も、勉強はできるしいい子たちなはず。でも、誰に悪気がなくても、物事は悪循環する。しかも一度この悪循環が始まると、もう戻らない。わかっているのに、もう自分の力では及ばないところまで来てしまっている・・・。

 本人の努力だけだともうどうにもならないところは「ビューティフル・ボーイ」のよう。また、宅配中に悪漢に襲われ、荷物を奪われ自分も負傷しているのに、労災が下りないどころか弁償まで被る羽目になるところは「JOKER」のよう。この理不尽さも「最初に”一人親方で始めてもらう”ということで了承したはず」となる。自分の怪我さえ治せない。「ビューティフル・ボーイ」の男の子は、まだ裕福なおうちの子だったけれど、どんな悪条件でも働かざるを得ない貧乏人の足元を見た社会構造、またそういう人々を最初に襲えばいいと思っている、同じように貧乏な悪漢たち。これらが厳然と存在する限り、この映画そして「JOKER」あるいは「パラサイト」のような世界はなくならないと思います。そうは言っても、これが民主主義、資本主義なんでしょうけど。「パラサイト」なんかに至っては、お金持ちの人々もとてもいい人でした。じゃ、なんでこうなるんでしょうね。

 そして、いつもいつも重い主題で社会派映画を作り続けるケン・ローチ監督に問いたい。それで、社会は少し変わりましたか?良くなりましたか、住みやすくなりましたか。どれだけ作っても、どんどんお金が跋扈するような世の中になっているのなら、こんなつらい映画を作り続ける意味はあるのでしょうか。もちろん、自分がそう思うのであれば見なければいいだけのことなんでしょうが、私も何とかして子供たちが夢を持てる、大きな夢でなくても安心して大きくなれる、そんな世の中になってほしいと切に思っているのです。いろいろ屁理屈言ってすみません。



1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する