mixiユーザー(id:39312867)

2019年08月23日23:09

147 view

『 アルキメデスの大戦  』を観てきました。

作品のことを聞いて、最初はあまり食指がわきませんでした。 

戦艦大和、山本五十六というデリケートな題材であり、作り方によっては「 実在しなかったヒーローによる、先の大戦の新たなエクスキューズ 」になりうる懸念があったからです。
事前に予備知識がまったくないまま、菅田将暉目当てに観に行きました。
よかったです。  予想外に。 どこがよかったか、また長々とになりますが、述べたいと思います。

( がっつりネタばれあり)
前にも書いたことですが、世界の歴史を見ると、敗れた側・賊軍となった側のヒーローとされる存在がいます。 敗けた屈辱に耐えていく上での心のよりどころで、ドイツでいえばロンメル、南北戦争では南部のロバート・E・リー。
日本の場合は山本五十六で、兵器ではゼロ戦と戦艦大和がそれに当たります。

僕は昭和31年生まれですが、戦争の悲惨さ、軍隊というもののひどさを学校でも、メディアでもさんざん聞かされましたが、一方において敗けたことのくやしさと、上記のヒロイズムもたくさん触れました。
プラモデルはそんなに作ったことはないですが、サンダーバートとかといっしょに、戦艦大和やゼロ戦は何回か作りました。 デパートに回収復元されたほんもののゼロ戦展示を見た記憶があります。 山本五十六は悲劇の名将として繰り返し描かれました。。

時代がすすみ、大人になるにつれ、別の視点も出てきました。
大艦巨砲主義と航空主兵論。 山本は後者の立場ゆえに先見の明のある名将とされます。
時代遅れの重厚長大・無用の長物を指す比喩としての戦艦大和。
大打撃を与えて戦意を喪失させる意図だったにも関わらず、むしろ逆だった真珠湾攻撃。
ミッドウェー海戦、珊瑚礁海戦らから見た山本五十六凡将論
山本五十六は日本では国葬・没後もヒーローだが、もし戦後まで生きていたらまず間違いなく戦犯として裁判にかけられたであろうこと。
戦闘能力・航続距離は高かったが、それは操縦者の防護を犠牲の上でのゼロ戦 など

それらを踏まえていても、なお強い思い入れ。
山本五十六 戦艦大和 ゼロ戦を題材にした映画はどうしてもステレオタイプな敗者のヒロイズムとなり、批判に対しては「自虐的」との反発が生まれ、賛美には「自慰的」との反発が起こり、アンビバレンツな情緒の対立を巻き起こして来ました。

それを懸念して観ましたが、本作は『 男たちの大和 』とも『 聯合艦隊司令長官 山本五十六 』とも違いますし、百田尚樹原作・本作と同様山崎貴が監督した『永遠のゼロ 』とも、庵野秀明が声を務めた・宮崎駿の『 風立ちぬ 』とも違いました。

本作に近い映画を指摘するとしたら僕は『 シン・ゴジラ 』と思います。
情緒に基づいて戦争を描写する映画ではなく、戦争を考察し語る映画という意味で。
実際、庵野秀明は原作マンガの推薦文も書いてますし、本作の映画化も望んたようです。

菅田将暉演じる主人公が天才的な数学者には実在のモデルはいないようです。
秘められた裏の歴史でもありませんし、フィクションではありますが、ねつ造された歴史でもありません。
客観的、論理的思考を持った現代の視点から過去の歴史を論じるためでしょう。 タイムスリップするか、時代を超えた天才にするかは、物語を語る手法の違いです。

冒頭の大和が攻撃されるシーンでグラマンなどの質感が、『 プライベート・ライアン 』などの実際の戦場にいるようなリアルさではなく、動くジオラマなようなのがよかったです。 私たちは実際の戦争を体験していません。 子供の頃作ったプラモデルや映画が私たちの戦争観の原点。
フィクションであることを承知の上で、それに仮託して本質に迫っていると思います。

さらにがっつりネタばれですが、印象に残るのは、撃墜され脱出した操縦士をアメリカ側が手早く救出するのを、大和の乗組員たちが驚きの表情で見ているシーン。
戦闘員を訓練するには時間とコストがかかり、モノはまた作ればすむが失われた人命は獲り返せない。
生き残ることを前提とする闘いと、当たって散り犠牲となるのを美徳とする闘い。
物量の差だけではなく、思想の違い(それを実行できる余裕)に、日米の戦い方の違いをまざまざと見せつけられ、絶望の中で死んでいく兵士たち。

人物の描き方も単純な図式ではなく、同一人物のさまざまな面を描きます。
悪魔的なセリフを吐きながら、いかにも怪演という演じ方ではない田中泯
自然で等身大の人物のように見せながら、山本五十六の光と影を演じた舘ひろし
他に柄本佑から橋爪功にいたるまでキャストのアンサンブルが力まない普通の人間像で当時の時代を描き、それが過去と現代が地続きであることを感じさせています。
( 角替和枝さんが出ていて感慨に浸りますし、本作は彼女への献辞がエンディンクでされています )
しかしやっぱり作品を引っ張る菅田将暉の力量にはあらためて感じ入りました。


原作は「ドラゴン桜」などの三田紀房で、未読ですが、おそらくかなり違うのでしょう。

本作にはヒロイズムはなく、山本五十六と戦艦大和を従来の神話とは違う姿で描いて見せました。
代わって、菅田将暉のあの涙。  自分たちの能力の全霊をかけた成果が、自分たちを地獄の修羅場に誘い、やがて滅びのシンボルとなるであろうと、天才ゆえに予見し悟ったあの涙。
ヤマトに向けられた、あの時代、あの戦争に向けられた、その哀しみと痛みが、私たちに日本人として生まれ、生きていくことの意味を問いかけていると思います。
エンドタイトルで余韻に浸りながら、山崎貴監督に喝采を贈りました。

4 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する