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2020年12月02日15:00

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社会の不合理から目を逸らし続ける罪


そんな罪があることに、
気を止めてもらいたいと思います。

その罪を意識し、正すことができないと、
社会を通し、
ずーっと、神様が警告し続けてくれたにも関わらず、
いつかは我が身に降りかかることになるのです。

ミルトン・マイヤーという方の有名な詩があります。

  ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、
  私は声をあげなかった
  私は共産主義者ではなかったから

  社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、
  私は声をあげなかった
  私は社会民主主義者ではなかったから

  彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、
  私は声をあげなかった
  私は労働組合員ではなかったから

  そして、彼らが私を攻撃したとき
  私のために声をあげる者は、
  誰一人残っていなかった。




この世界は、様々なものが積み上がって形成されています。
その、様々なものをきちんと積み上げるには、
忍耐力と、根気が必要です。
そのため、けっこうな人が、
それを面倒と感じ、なまけたくなり、
途中の手順を省いて、手間の中抜きをして、
作ってしまいます。

日本は、他の国々と比べると、
そういうことをする人が少ないそうで、
他の国に比べ、高品質なものが作られる。
と言われていますが、
それでも、手順が省かれたまま、
ものが作られることがあります。

人は、なぜ、手を省きたくなってしまうのでしょう?
楽を求めるからでしょうか?
楽を求めることは、悪いことではないと思います。
楽を求めることで、
工夫して、より多くの人がその恩恵に預かり、
今日の文明が形成されています。

ですから、
楽を求めること自体が「悪」であろうはずは無いのです。


実は、手抜きも、袖の下も、
元の理由は同じ処にあります。
つまり、
仕事の成果による報酬を、
「本来の約束のものより、多目に手にする。」
ということで、
手抜きは、手順を省くことで、
袖の下は、過剰請求で、
本来の報酬よりも多い報酬を手にする行為
ということになると思います。

「収入をより多くしたい。」
という目的も「悪」とは言えないはずです。

何がまずいかといえば、
「楽」をしたり、「収入を多くする。」ための
「手段」がまずい。ということです。

少なからず、手抜きしたり、袖の下を要求する人は、
裏に罪悪感を秘めながら、
正当性を装い、為すことを納得させているはずです。

仕事をしている人が、
他の人に比べ、不平等に扱われ、
蔑ろにされていると思っているとしたとしたら、
管理者に隠れ、手抜きをしようとします。

請求をする人が、
自分が不当に扱われていて、
十分な収入を得られていないと感じていたとしたら、
その分を補填するために、
その収入を埋め合わせるために、
利権を利用して、袖の下を要求するのです。


私の個人的な印象ですが、
ここ最近、「品質の日本!」でも、
「手抜き」が多くなってきている印象を受けます。

なぜ、そんなことになってきてしまったか?
という問いに対する答えは簡単です。
それだけ、日本人の生活も
世知辛くなってしまったからです。


人々が自分の生活に満足感があり、
自分に必要なものが与えられている
と感じている場合、
そういう社会では、犯罪が少なくなり、
手抜きも、袖の下の要求も起きません。

手抜きや、袖の下が横行する社会では、
窃盗、強盗などの犯罪も、
必然的に多くなります。

犯罪を犯した特定の誰かだけを責めても、
犯罪は減りません。

現在の日本の社会では、
一つ一つの小さな犯罪を厳罰化すれば、
犯罪は減ると思っているかの如く、
犯罪者を晒して叩くのという行為が横行しています。

そういう一つ一つの違反を取り締まっていたとしても、
そういう不平等感が世の中を支配している限り、
手抜きも、袖の下の請求も、
なくなったりはしないのです。


日本では、他の国々と違って、
表立って、犯罪が増えてこないのは
実は、「この世の中が悪い。」と思う人よりも、
「この世の中に対応できない自分が悪い。」
と思っている人の方が多いからです。

私がまともな生活ができないのは、
「この世の中が悪い。」と思っている人は、
その考えを基に、自分の犯罪的行為を正当化します。
それが、多くの国で犯罪率が高くなる理由です。

しかし、日本では、少し事情が違います。
「平和な国、日本」では、
平和な国日本で、まともに生活できないのは、
「このまともな国日本に対応できない自分が悪い。」
と考えてしまう人が多いようなのです。
それが、世界的に見て、
日本の人口あたりの自殺率が高い理由です。

社会の中で、資本、権力を牛耳っている連中にとっては、
歯向かって来る犯罪者が増えるよりも、
自分を責め自殺する奴の方が、
自分たちへの被害は少なく、
歓迎しているかもしれません。

確かに、犯罪は、破壊行為を伴うので、
社会資本が破壊されます。
それだけ、社会的損失も伴うことになります。

自殺は、列車の人身事故でもなければ、
その人が潰れるだけのことなので、
社会の損失は犯罪に比べると小さく見えます。

それだけに、本人が弱かっただけと捉えられ、
社会の解決すべき問題として、
顧みられるのが遅れてしまい易いかもしれません。
しかしながら、
犯罪であろうと、自殺であろうと、
この社会が世知辛く、生き辛いからこそ、
その、弱いところに、そういう事象が現れているのです。


そういう認識を持つことなく、
犯罪に手を染めた誰かや、
自殺した誰かを責めていても、
いつかは、そうする側に
自分の身を置くことになりかねず、
社会不安は拡大し続けるのです。


今、私たちは、
極端な富の集中を許してしまっている時代に生きています。

政府も、御用学者も、御用マスメディアも、
その富を牛耳っている者に、秋波を送り、
そのおこぼれに預かるべく奮戦していて、

素人が普通に考えても疑問に抱くような
おかしな現実を覆い隠し、
平然として嘘をついています。

それもまた、
手抜きや、袖の下と同じ根のものです。
彼らは、手抜きや、袖の下で大儲けしている連中の側に立つことで、
それを助長し、隠蔽工作を手伝い、
そのおこぼれに預かっているだけです。

「陰謀論」という言葉を使って、
世の中にに陰謀はなく真っ当な世の中と思わされ、
それらのことを伝える人々を、
馬鹿にする風潮がありますが、
その風潮も、その陰謀により、
煽られて囁かれているのです。


大陸に、文明が生まれて以降、
この世界に陰謀がなかったことなど無いのです。

大陸の思想は、情にはなく、
「効率的に欲しいものを手にする。」
ということをしてきた文明です。

最も手軽な方法が、
暴力による略奪でした。
その思想で、アメリカの南北大陸、アフリカを手にしました。
アジアは、簡単に暴力が通じなかったので、
「交渉」という名の下に、様々な罠を仕掛け、
巻き取っていきました。
その、「様々な罠」が
今も延々と繰り返され続けているのが「陰謀」です。

そろそろ、そのことに気づいて良い頃だと思います。
少なからず、トランプ大統領は、
そういう連中と果敢に渡り歩き、
勝利を収めようとしています。

それなりに主要な連中は、
アメリカの国家反逆罪で、
お縄になるでしょう。
ですが、全てのそちら側の人が
お縄になる訳ではありません。

残った陰謀を張り巡らす連中は、
目の上のコブが取れてくれた程度に喜んで、
今度は、自分が中心の世界にすべく暗躍し、
更に用心深く陰謀の網を張り巡らすのに精を出すのです。


目先の利益に目を奪われて
誰かの苦痛に共感することなく、
利益確保を目論んでいると、
いつかは我が身、
自分もその連中の餌食になるか、
その連中の側に着き続けたことで
断罪されることになるのです。


どういう未来を手にするかは、
私、私たち次第です。

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