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2020年09月15日13:44

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私が今、ここに生きている理由

私は、たぶん、壮大でリアルな
神が見ている夢の世界で生きています。
あまりにリアルなため、
それが夢の世界であることすら気づけないでいました。
何しろ、ほっぺをつねれば痛いし、
怪我をすれば血を流します。
それがあまりに痛いものだから、
死の前に、強力な痛みを受けることが多いのと相まって、
死を恐れてしまいます。
きっと、痛みがなければ、
死は全く怖いものではなくなってしまいます。

「無」の世界を想像できますか?
もし「無」という空間があったとしても、
そこに「無」を知覚する何かを置くことはできません。
「無」なんですから。
すぐにその「無」の空間は「有」に埋められて
「無」を見出すことができなくなるでしょう。
空っぽの空間を置くことはできるかもしれませんが、
空間ができた時点で既に「有」です。

時間もそうです。
「無」の時間を生み出したとしても、
「無」の時間の中では「無」を知覚する感覚もないので、
「無」の時間を知覚することはできません。
だから、たぶん人は、死んだとしても、
「無」の世界に行くことは
できないんじゃないかと思います。
私はそう考えます。

たぶん、天の中心の神様は、
「有」の世界に存在しています。
私たち人間に見えないからと言って、
「無い」とは言えないはずです。

私たちは、ほぼ、この世にしか
チャンネルを合わせることができません。
ですから、この宇宙は、
自分たちが見ているこの宇宙しかない。
と、思い勝ちですが、
実際には、受信波長、送信波長を変えることで
様々な世界が見えたり、影響を与えたり
できるのです。

その違うチャンネルには、
やっぱり様々な生命活動があって、
支えあったり、闘いあったりしているのだろうと思います。
その違うチャンネルを自由に飛び回れる存在を、
私たちは宇宙人と呼んでみたり、
時に、神と呼んでみたりするのではないかと思います。

天の中心の神様は、そういう神々とはちょっと違う気がします。
天の中心の神様は、この宇宙全体のありとあらゆるものに
チャンネルを合わせることができて、
ありとあらゆるものが自分自身だと
認識していると、私は思っています。
だって、自分自身を素材にしない限り、
この世界のものは生み出せないのですから。

おそらく、人も神様も、
ある範囲で、チャンネルを合わせることは可能です。
その合わせることができるチャンネルが多いほど、
天の中心の神様に近いところにいる神様なんだと思います。

私には、
「ありとあらゆるものが自分と認識し、
 ありとあらゆる過去も現在も未来も見通せてしまっている。」
そのことが、天の中心の神様が
この世界を創った動機だと
私は思い描いています。

エドガーケーシーという霊能者がいました。
彼がトランプゲームを無理にさせられたことがありました。
彼は、自分に来る手札、相手に入る手札、
全てを見通す力がありました。
そんな状態では、全くゲームにならないのです。
彼は、憮然としながら、
相手にどんなカードが揃っていると言い当て、
次にどんな手札が来るかを言い当て、
ゲームを投げ出してしまったようです。

私は、私たちが生きている理由。
私たちに「生」がある理由。
私たちに生前の記憶がない理由。
私たちに未来が見えない理由。
 がそこにある。と思いました。

何もかもが分かってしまう世界は、つまらないのです。
それで、天の中心の神様は考えました。
自分が天の中心の神様の一部だということを忘れ、
痛みを与えることで、
死を恐れ、生き抜こうとする動機を
あらゆるものに植え付け、
この世界を構成しよう。と、
それによって、天の中心の神様は、
冒険を楽しんでいるようです。
私が、天の中心の神様の代わりに冒険しているのです。

ありとあらゆるものが自分であり、
過去も現在も未来も、
全てが見通せてしまっている天の中心の神様には、
「冒険」という言葉はないのだから、
自分が天の中心の神の一部だということを、
生まれた時に忘れ、有限の命を与え、
死を恐れ、生き続けたいという感情を作り、
それを無限と言うほどに繰り返される。
それによってこの世界は構成されている。
そんな風に私は思っています。

私たち全ての生き物は、
天の中心の神様の代わりに、
この世界を楽しむために生まれてきた
「冒険者」だった。
というのが、命についての私の認識となってます。
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