仕事が終わり帰宅する。
毎度毎度なんだけどね・・・仕事しない奴にいら立つ。
家に帰って娘はゴロゴロしている。
ここ最近元気がなく、やはり迷子になった事が気になってショックだったり
便秘で3日も出ておらず、昨日病院に行って薬をもらって飲んで
学校で少し出たと。
そして宿題は終わってるのか聞いて音読が終わってないというが
後でするとの事だったので部屋に戻って片付けようとすると上に上がってくる。
半べそ状態で来て急に泣き出す。
どうしたのか尋ねると「死ぬのが怖い」と言い出す。
多分意識消失した件を思い出したとのこと。
で、「誰もが死ぬのを怖いと思ってる。病気で〇〇より早く亡くなる子もいるし、
長生きをする人もいる。自分だって怖いし、ママだって怖いと思ってる。
けれども悪い事ばかり考えててくよくよしてても良い事なんてないのだから、
〇〇は友達と楽しく遊んだり楽しい事考えていけばいいんじゃないかな?。
先生には伝えてあるから学校で何かあっても先生が助けてくれるし、
家に居れば誰かしらいるから直ぐに病院に連れてってくれるから心配しないでいい」
と伝えるとある程度理解した様子。
その後車で、友達の家あたりにいってそこから家に帰るまでの間に迷子になった時の
事を話す。もし道に迷ったら「7」という看板みつけたら、そこに入って迷子になったと
話をしなさいとはなす。
家に帰宅して食事をとった後にはすっかり元気になり
音読も上手に行い、自分で明日の学校の準備したり、大きい声で歌を歌ったり。
そして早々と寝る。
躾けっていうのは「叱る」だけじゃなく、
相手の話を聞いてそれに対して「こうした方が良い」とか上から目線でいうのではなく、
「こういう選択肢もある」「こうした方がいいかと思う」等子供に考えさせる事も
重要になってくるのかなと思う。
当然話を聞かずに「泣くな」とかいうのはご法度。
で、やっぱり「死とは何か」という本を購入して学ぶことも重要かなと思ったりした。
でも小学1年生で「死ぬのが怖い」という言葉が出たのは凄くある意味良い事だと思う。
それを知る事で相手にやさしくすることもできるだろうし、見る世界が違ってくると思う。それだけ娘は成長してんだなと思った。
確かに施設内の看取りの研修とかやったり、法人の看取り研修した後に出るのが
「看取りの時期のタイミングとか知りたかった」等結局業務的な事ばかり求める奴が
多い。
俺は悪いけどそんなことよりもまず先に「死」について深く考えてから
その次にそれがくるんじゃない?と俺は常々思う。
目の前にいる人の人生が終わるというのに、その人の気持ちや人生観を無視した
ルーティーン作業していれば当然悪いけど人を大事にしているとは思えない。
介護職員は亡くなる時に家族がその場に居させる事が目的となってるが、
それは大きな間違いだ。それは本人が望んだことなのか?ってこと。
そうじゃないだろう。亡くなる時にいつも世話してくれた人がその場にいて
そして涙を流してくれることで初めて幸せだったと感じるかと思う。
入所して面会もほとんど来ない。そして亡くなる時になって家族ぶってくるようになって
それが果たして本人として喜ばしいことなのか?ってこと。
それは悪いけど介護職員側も自己満足でしかないし、家族も同様。
本人の気持ちや考えを無視した行動としか言えないと思う。
だから「死」について、「自分は関係ない」と言って逃げてばかりいるのではなく、
自分だって年を取れば当然「死」はやってくる訳だから、真剣に向き合う必要がある。
とあるお坊さんが言いました。
「他人の死」には無関心で、自分の番になったら「助けてくれ」という。
それはオコガマシイことだと。
だから「死」という事についてもっと勉強する必要があるのではないかと思う。
それによって相手にやさしく接する事もできるし、残された時間を有意義に使える
と思う。
ログインしてコメントを確認・投稿する