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2017年04月23日15:55

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書評 小島英俊・山崎耕一郎氏共著「漱石と『資本論』について」      塩見孝也

 ●今年17年2月、初版が祥伝社から出版されています。 
 漱石研究会の一仲間からこんな本が出ていますと紹介されて、読んで見ました。それが、日記見出しの著作でした。
 本のオビでは「漱石は社会主義に共鳴していたか−−資本論を95ページで読みながら、その謎に迫る。」というものでした。
 続いて見開きの表紙解説では以下のように書き添えられていました。
 「漱石が『カール・マ−クスの所論如きは……今日の世界にこの説の出るは当然のこと』と述べた「資本論」。近代人・漱石が感じたこと、および「資本論」の価値は、現代に生きるわれわれにも古びていないことを示したのが本書である。この価値を理解するために、全3巻・17編・98章・131節からなる「資本論」を95ページでまとめた。「資本論」やマルクス主義が、日本でどのように受け入れられたかを明にしつつ漱石は社会主義に共鳴していたか−−に迫る」。−−と。

 ●僕は、お二人の経歴や主張を読み、「労農派(系)」というより「向坂派」の論客の人達と見ました。
 漱石が、ロンドンで「資本論」を読んだことは紛れも無い事実といえます。彼は、英語研究・調査の留学生として大学の講義に入り浸るより、カーロライル記念館に良く行ったようでした。−−この記念館には漱石の当時の写真も飾られています。下宿でも自分で買い漁った文献を読みふけるような自侭な研究生活を送ったようです。その約2年半弱の国費留学期間中、彼は経済的に困窮し、氏の神経症(追跡妄想の悪化等)を、留学以前に加え、悪化させた、とよく言われています。
 ●さて、お二人の著作の件に戻ります。僕は、向坂訳の「資本論」1巻〜3巻(1部と2部)を持っていますし、必要なとき(批判的検討の際)紐解きますが、これまでの出獄後の研究会では大月書店からの監訳者、大内兵衛、細川嘉六氏のものを読み合わせしてきました。出獄後の研究会では単行本となった岡崎次郎氏のものを主として採用したと思います。新日本出版社の単行本を持ってきている人もいました。僕は、「資本論」調査・研究には、主として金子ハルオ氏の「経済学(上)」や「資本論」解説(いずれも新日本出版社刊)を導きの糸としてきました。
 何故、新左翼の塩見が、宇野弘蔵・経済学シェーレや労農派、向坂派シェ−レに依拠せず、日本共産党主流の金子氏ら(講座派の主流ともいえる)、依拠したかといえば、−−宇野経済学では、あるいは労農派・向坂派シェーレでは、獄中で労働者階級の解放の見地で、無期求刑を受けつつ、生涯獄中で非転向で生きてゆくに思想的・理論的な力が湧いてこなかったからです。まったく、頼りにすることが出来なかったのです。もちろん、僕は政治路線・日本資本主義論争では、明治維新を、大局日本的なブルジョア革命と見る見地では、ずっとそうであったのですが、「原理論」としての「資本論」理解・研究では、労農派ではなく講座派に立った、ということでした。
 あるいは、「一国社会主義論」、スターリン主義批判にについては、これまた不動であったのですが、労農派は、政治路線は正しくても、何故、戦前<天皇制>権力と闘えなかったのか?逆に言えば,講座派は何故、明治維新・資本主義論争で間違っていても、何故天皇制に対してあれほど非妥協に闘えたのか、こういった、根強い直感、問題設定があったからです。
 つまり、講座派はスターリン・コミンテルン路線の過ちを犯してはいたが、それでも、実践的な労働運動、反戦平和闘争、福祉闘争らの前線を担い、何よりも、天皇制権力に非妥協で、闘い、こういった姿勢があったからこそ、正しいマルクス「資本論」理解に近づいてゆく可能性を秘めていたこと。 マルクス「資本論」理解において、労農派やその後の向坂派や宇野派の「資本論」理解は、マルクスの資本主義批判を忠実に継承してなく、勝手に修正していること。今回も、お二人の資本論解説を検討してみたのですが、資本論を95ページに、要約した、と豪語していますが、力になってゆくものではありませんでした。
 
 僕としましては、宇野氏や向坂派らの、「資本関係」の下で定まってゆく「労働力の商品化」の動きが、この「資本関係(資本−賃労働関係)」から切り離されて、度外れに強調されること。この結果、マルクスが創造的に構築していった「貨幣の資本への転化」の経済学的な科学的検証などがお呼びでなくなり、本来、「商品化されてはならない労働力が実存主義解釈の下で、商品となっていると単純化されて、度外れ人間的なに強調されるようになっていること。」
いわゆる「本来、財貨ではない労働力が、労働力として財貨として扱われることが問題なのだ」これでは、経済学として労働者階級が搾取・収奪され、賃金奴隷として処遇される、資本主義に貫徹してゆく経済的運動を必要とされなくなります。まるで、プルードンや疎外論でしかないのである。
 労働力は、市場では、価値、交換価値としては等価交換されるも(生産物が、商品として交換される場合の等価交換の法則と矛盾しないで)、その交換された使用価値が、生産過程の、工場労働制の下で、資本によって、欲望の赴くままに消費され、その労働時間が絶対的・相対的に無制限に延長されてゆくこと。この賃金奴隷としての奴隷労働制度(他方で、人権無き搾取労働制度)の悲惨さが、まったく捨象される「資本論」解説となっていること。
 僕は、この宇野派・向坂派見限りの見地で、大阪市大哲学教授・見田石介氏に獄中から手紙を出し、「資本論」の原理論理解で、良き著作・学者がいるならば紹介して欲しい、と教えを請いました。そうすると、これこれれの著作・著作者のものを読み給え、というご丁寧な返事を氏はくださいました。この顛末から、僕はその後、金子氏の「資本論」理解・研究を基準にしてゆくようになります。そして、今もそうです。
 ●さて、小島・山崎両氏に、まず一つだけ感謝の念を表明するところから始めて行きます。そして、若干の危惧に近い、質問を一つさせていただきます。
  ◆漱石がイギリス滞在時代,岳父中根重一氏宛てにマルクス「資本論」に注目していることの書簡を資料として提供してくださっていることに感謝したい。
 「欧州今日文明の失敗は、明らかに貧富の懸隔はなはだしきに起因いたし候。…‥日本にてこれと同様の境遇に向かい候わば「現に向かいつつあると存じ候)、かの土方人足の知識文字の発達する未来においては由々しき大事と存じ候。カール・マークス如きは単に純粋の理屈として欠点これあるべくとは存知候えども、今日の世界にこの説の出(い)づるは当然のことと存知候。小生は固より政治経済のことに暗く候えども一寸気焔が吐きたくたくなり候。間かようなことを申し上げ候。「夏目が知りもせぬに」などとお笑いくだされまじく候。(夏目漱石の1902年3月15日付け書簡)
 確かに、漱石が残した蔵書(門下・小宮豊隆(とよたか)の関係で、東北大学が所蔵管理)の中には、「資本論」第一巻の英訳、1902年(明治35年)年3月版が含まれ、漱石の行きつけの書店で、ロンドンのチャリング・クロス通りにある「Milerer&Gill」のラベルが貼られている。ところが、同書には、漱石がたいていの蔵書に書き込んでいるアンダーラインや注記がまったく無い。
  ◆50年代、60年代、70年代の社会主義協会系(旧社会党)は、日本共産党国際派以上に
旧ソ連(ー東独系?)でありました。このような、国際権威追随のスターリン主義者からは、あれから40年近く、とっくにお二人は卒業されたと拝察したいところですが、そうなのでしょうか?そうであれば、僕といたしましては、何よりも自国民衆の試行錯誤の自力更生の闘いを創造的にしてきた人々として尊敬いたします。 こうであれば、新左翼系、日本共産党系、社会党系などは、この40年〜50年以上の試行錯誤の経て、これを無駄にせず、「小異を残して大道(大同)に就く」ことが出来ます。
 ●しかし、お二人が自慢される「資本論」を95ページにまとめた、といわれる内容を検討してみると、国際権威追随は無くなったようだが、相変わらずの上滑りの「資本論」理解で、修正主義以外の何物でもありませんでした。非常にがっかりしました。これでは、駄目だと思います。

 
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