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2017年01月28日03:57

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「幸福とは何か」を考えさせてくれる名画.「大いなる勇者」.。シドニー・ポラック監督、ロバート・レッドフォード主演、1972年作。解説と批評        塩見孝也

●シドニー・ポラック監督、ロバート・レッドフォード主演。この映画の原題のタイトルは何故か主人公、その人の名をそのまま使った「ジェイマール・ジョンソン」であったが、日本語訳では「大いなる勇者」とかなり、価値観(白人側の)を帯びるタイトルに換えられています。
 ともあれ、この映画は実在の人の人生を描いたものである。
 映画の中で、「下界のアメリカ・メキシコ戦争はどうなったか」の問いに、「とっくに終わったよ」という会話が出てくるところから見て、19世紀中期頃からのアメリカ合衆国世界での物語であろう。 多くの若者がいろんな事情から戦争や「町」の生活に嫌気が差し、ロッキー山脈に入り、山人となり、ハンターとして生きようとした。この映画の舞台はロッキー山脈を抱えるコロラド州地域であった。そこは、太古以来の自然が未だあり、人類が自力で自由に生きてゆかんとすための普遍的摂理である<(狩猟採集の共同体社会での)協働>や諸問題を実力で解決する<掟>が、剥き出しなまま働いている世界であった。
  南北戦争(1861年〜)を境に、西部も大きく変化して行くが、それでも、この地域は、合衆国中央権力・陸軍の威勢がほとんど届かず、先住民は居留地に留まっていず、自分達の狩猟・採集の領土を維持し、自由な生活を送っていた。山で暮らす白人の<山人(マウンティん・マン)>も狩猟を糧とするハンターであり、その技量の程度において、自由な生活が出来た。 とは言え、多くのハンターは独身であるか、先住民の女性と暮らすか、していた。その際、先住民諸部族と交易することは、「町」との交易以上に遥かに重要であり、その部族が「友好的か、好戦的か」は別にして、平和共存は不可欠で、この種の「外交」には、微細なことにいたるまで、彼らは、神経を尖らせます。明治維新以降、戸籍制度が整備されるまで、わが国において、マタギといわれる(あるいはサンカと呼ばれる)山岳を生活の場とする狩猟民がいましたが、この人々とジョンソン達と全く同一視することは出来ないでしょうが、狩猟を生活の基本として、自給自足の生活をしてゆく点では重要な共通性を有している、と言えます。
 何故、狩猟・採集が生活の基(もとい)となるか?それは、人類が、未だ農業を基とする食料調達の生産関係・生産力の段階に達していず、文字通り、山野に生きる動物・魚ら諸生物やそこに繁茂する植物を直接的に狩猟、採集することで食料を調達する段階が、山岳での狩猟民族であった先住民や後(あと)から入ってきた銃を持った白人ハンターの狩猟民において、継承されてきた、と言うべきであろう。逆に言えば、未だ貧富の差も階級的不平等も生まれようがないほど生産力が低く、皆、平等の社会であり、<町>にあるような社会的分業(や協業)、貨幣に基づく生産物の商品としての交換経済(初歩的な物々交換もあったが)は山岳には存在せず、文字通り、山野に生きる動物やそこに繁茂する植物を直接に狩猟、採集してゆく能力に依存する社会発展の段階、つまり<原始共同体>の暮らし振りの社会であった。逆に言えば、こういった能力がなければ、餓死せざるを得ないのであった。ロッキー山脈を生活場にして、銃を持たない先住民と違って銃を持った白人ハンター達狩猟民は、この意味で、特殊に独自の自由を得て、生き得たわけである。
● 若い活力と知恵、想像力、創造力、大胆さ、冒険心、元軍人であったことで練成された高度な射撃能力、強靭な体力に富んだジェイマール・ジョンソンは二艘のカヌーを連艘した大型の川舟に乗って、河辺の交易地にやってくる。 
 そこで、ハンターとして生きてゆくためのさまざまな銃・馬、ロバらの諸手段、諸資料を買い込んで<山>に入って行く。
 この映画が作られたのは、もう45年前の1972年であるから、いまさらネタバレを気にする必要はないであろう。反面で、こうした映画を解説・批評しようとするのであれば、封切られた当時の批評を繰り返すわけには行かない。いくばくかでも、これを越えた、今の時代に通じるような発言でなければならない。僕にとって映画批評は、ある面で己の思想を問う自己表現であり、それを持って、現代を語り得れば、大きな癒しを得る行為といえます。
 「山」で、見習いを経て、ハンターとしての力量を養い、妻「子」を得て、堅実、安定、平和な生活を送っていたジョンソンに一大事件が発生する。最愛の妻「子」がクロー族によって惨殺されてしまうのである。
 両者は言う。クロー族側は「自分達の先祖が祀られている神聖なるお墓をアメリカ陸軍の軍隊が傍若無人に踏み込み、通過する侮辱を受けた。ジョンソンはその案内人であった。」と。
 ジョンソンの方は「そのことに関係ない自分の妻<子>を、自分の不在なおり、身代わりにイキナリ殺してしまったコトは絶対に許すことは出来ない」と。
 この事態をもって、それまで友好的関係にあった、両者は、実力による決着の決闘的死闘(戦争)関係に入る。ジョンソンは、家族殺しの下手人10人近くを一挙に殺し―― −人を除き――罪を償わせるが、誇り高いクロー族は、「敵討ちの敵討ち」の挙の出て、幾人もの戦士を送り込み、1対1の決闘的戦争を10数回に亘って、挑んで来る。両者は一歩も譲らず、闘いは果てしなく続く。このことが不毛であることを、双方で覚知するのは、いろんな犠牲を払った後のことである。 とりわけ、クロー族の戦士達が、強靭な体力、運動能力、不屈・不退転な意志・忍耐力・適格な判断力・油断を見せない防御生活がやれるジョンソン一人によって、ことごとく、<返り討ち>に遭い、斃され続け、「ジョンソンは不死身である」という伝説が、彼ら部族内部や第3者関係から生まれてくるのを遺憾ともしがたくなってからである。 
 かくして、決闘的死闘の停止、和平提案が、クロー族側の指導者・「赤革シャツ」からなされ、それをジョンソンも受け容れ、死闘は終焉する。映画は、ここで終わる。
● この和平はもっともなことであるが、僕が腑に落ちないのは、次のことである。
 もともと、「民間人救出」と称して、嫌がっているジョンソンに道案内を要求し、あまつさへ、彼が強硬に拒否していたクロー族墓地の軍隊通過を、これまでの儀礼を無視し、強要してきたアメリカ合衆国政府とその陸軍の責任に対して、ジョンソンの方もクロー族の方も、落とし前をつけないままで事件を終焉させてしまっているコト、この中途半端さについてです。
 妻「子」惨殺は、必ず正しい厳格な裁定が下されなければならない事件ではあるが、これと平行して、米陸軍と合衆国政府の白人至上主義、帝国主義的拡張主義、専制主義は糾されてゆかなければなりません。この<糾し>は、この作品から30年後、実際に行われて行きますから、僕の注文が、余りに<高踏的>であると考えてもらっては困ります。
 この映画は1972年の作であり、それから、アメリカでは、ベトナム戦争があり、この戦争の正否をめぐって、60年代、70年代は、80年代は反戦運動、黒人解放闘争、先住民闘争、女性解放闘争らあらゆる社会・政治分野で、歴史的な思想的大変動時代に入って行きます。今は、トランプによって、そのリアクションがなされて来ていますが。
 このような、約、30年の時代の流れを経て、先住民解放運動の分野では、1990年、ケビン・コスナー監督、主演の「ダンス・ウイズ・ウルブス」が製作されます。この映画評価では、いろんな論争が生み落としされてゆきますが、結局は弟63回アカデミー賞、監督賞・作品賞含む7冠を達成し、ハリウッド史において衝撃的な画期を刻みます。その画期とは、スー族と元陸軍将校(ケビン・コスナー扮する<ダンバー中尉>)が組み、アメリカ陸軍に対して、戦争を挑んで行くことを天下のハリウッド・アカデミーが公認した、ということです。
 僕は、シドニー・ポラック監督を非難しているのではありません。監督は、白人至上主義を賛否してませんし、どちらかといえば、批判的ですし、映画の題名も、「ジェイマール・ジョンソン」と個人名で、自伝風にジョンソンの人生や思想をドキュメント風に丹念に淡々と綴って行く手法をとっており、−−これはこれで、大変貴重ですし−−クロー族とジョンソンを対等・平等に扱い、決してクロー族を貶しめてはいません。ですから、日本輸入の際、「大いなる勇者」の如き、無神経なタイトル付けをする人でないことはわかっているつもりです。
 時代の歴史的限界性に加え、こんな画期的映画が作られたことには、特別な理由があったことも留意すべきです。コスナーは先住民と白人のハーフであり、こんな風な映画を作る強い内的動機が十分あったことです。
●人生は、往々にして幸福の渦中にいる時は、気づかず、それを後から振り返って、「ああ、あの時期が、一番自分の人生にとって一番幸福だったのだ」と気づくものである。とりわけ、そのことは失ってみて初めて分かることが往々であります。
 ジョンソンにとって、もっとも幸福な何物にも換えることができない最高に価値ある時期は、偶然の形で、フラット・ヘッド族の酋長の娘、スアンを「嫁に貰い」、新婚の時期を経て、彼女と自分の<実子>のような養子で啞子(おし)のケレイブと3人で自分たちの家を立て、協働し、睦み合って生きてゆく時期であったろう。
 族長、ツー・タングは、ジョンソンの気前の良い、過大な贈り物に対して、どういう返礼をすべきか、考え、これまでの部族の慣習に照らして、「自分の娘を差し上げる」と思い切った申し出をする。これは、彼が、ジョンソンと接し、この男は娘を託すに足る男であると、見込んだからであろうし、娘の方も気に入り、ジョンソンの方も、納得するであろうと読んだからであろう。
 族長は<美しい娘>とは言わなかったが「強い、しっかりした娘である」とは言った。 相棒にして、親友のようなデル・ギュ−は、「この様な過分の申し出を断れば、八つ裂きにされてしまう」という。翌日の結婚式の集いの際、スワンは正装し、ジョンソンの前に現れる。チラッと一瞥、二瞥したくらいで、何も言わず、納得を示す。 
 ジョンソンの方も成り行き上の冗談気分も抜け、スワンを気に入るのである。昔の人は、このような当たるも八卦、当たらぬも八卦のような見合いをし、結婚する。随分と非合理でギャンブルめいてはいるが、それでも、周囲の人々の評価が一致していることで、巧く行く方が圧倒的に多かったのである。スワンは健康で、大柄、そして、嫁、女としての心得、たしなみも良くわきまえ、内面の豊かさを感じさせる――押さえ気味だが――、アジア系特有の美しい娘であった。こういう娘さんを、僕はアラスカやカナダの先住民が出てくる映画の中に、よく見かけます。
 ジョンソンは、自分の希望通り、山男のハンターとなって修行を積むも、他に取り立てての望みはなかったのであるが、気がつけば、この<見合い結婚>によって、人生の幸せの頂点に登り詰めていったのである。
●しかし、「禍福はあざなえる縄の如し」。幸せは、そう長くは続かないのものである。幸せが突然、訪れたように、不幸も又突然訪れる。アメリカ陸軍が道案内を請うためにやって来たことを境にして、ジョンソンの人生は、『悲劇』へと暗転してゆく。
 ジョンソンは、大きな過ちを犯す。先述したように、アメリカ陸軍の強引な人命救助のための道案内の要求を、不承不承受けいれるまでは良いとしても、クロー族のお墓を「近道のため」に通過する強引さまで受け入れさせられてしまったことである。その結果、報復として、クロー族の怒りを買い、スワンもケレイブも一瞬のうちに、襲撃され殺されてしまう。この予感が走り、ジョンソンは全速力で、家に帰るが、<後の祭り>で、二人は殺されてしまっていた。
 亡き骸を、清め、整えはしたものの、彼は三日三晩、茫然自失し、一睡も出来ない。顔色は鎮痛のあまり、青ざめ、目は虚ろである。彼は現実を受け容れられないのである。生き返ってくると幾度も幾度も願ったのであろう。失って、初めて妻(と<息子>)が、自分の人生にとって、何物にも換え難い程に、大切であったことを思い知らされるのである。
 彼は、スワンとの出会いから家を建てるまでの、夫婦としての睦み合いを詳細に思い出してゆく。スワンは、ジョンソンが、ビーバーやウサギを捕ったり、バッファローや鹿・熊をハンティングしたりし、一家の主人としての役どころを十分にこなし、一家を飢えさせないよう活躍するのを主婦として誇らしく思い、心から喜ぶ。自分も、石投げで、野鳥を仕止めたりもする。 馬やロバが狼に襲われた際、狼と闘い、負傷した夫の傷口を、手際よく手当てしたりもする。そして、バッファローの皮で作ったジャケット(かジャンバー)を密かに裁縫して作っておいて、出来上がった際、「着てみて」と試着させたりもする。
 放浪中、ジョンソンは、「ここに決めよう」と口に出し、「前が小川で、後ろが崖で、水は綺麗で、空気が穏やかで、暮らしやすい」と家を建てることを提案する。そして、3人で、松や白樺の大樹を伐採し、たくさんの丸太を作り、端が巧く組み合わされるように、切れ込みを作ったりする。丸太と丸太の隙間に、泥と枯草を練り合わせ、セメント替わりにし、風や寒気が吹き込まないよう細工する。これは、スワンやケレイブの仕事である。内部の区切りや暖炉、煙を吐き出す煙突、玄関口も設計され、内装も整う。仕上がってみれば、内見、外見の両方において、まことに立派で堅固な「家」であった。スワンは、早速、野菜や花の菜園・花壇を作り始める。ジョンソンはケレイブに、ビーバー罠の仕掛けの仕組みを教えたり、樹の切り方、斧の使い方などや天候の読み取りのコツなども教えたりする。
 圧巻は、暇な折の憩いのスポーツとしてホッケーのような毬(まり)の蹴り込み遊びをするシーンである。ゴールがあるか、どうかは分からないが、ジョンソン対スワン・ケレイブの1対2の連合の毬の蹴り合いである。スワンがふざけて、ジョンソンに対して、背中にホッケー・バットを打ちつける。するとジョンソンは倒れ込んで、動かなくなってしまう。心配して、スワン・ケレイブの二人が駆け寄って行くとジョンソンが仮病を装っていたことが判明し、夫と妻は、弾ける様に抱き合い、その上に「息子」クレイブが覆いかぶさってゆく。本当の家族以上の愛し合った3人の家族が誕生してゆくのである。 
 以上のような夫婦の想い出が走馬灯のように、妻と「息子」の遺体を前にして、彼の脳裏に照らし出されて行ったであろう。
 次に、「最愛の人々を弔うにはどうしたら良いのか?」。彼は、苦労して3人で建てた家を、遺体を手厚く、その中に安置しつつ、燃やしてしまう。業火の中では、骨も燃え、灰になってしまうのであろう。骨壷に骨を集めたり、灰をその後、どうするのか、など彼は問題にしないのである。
 思い出で一杯の我が家が、燃え尽きて行ってしまうのを、見守り続けるジョンソン。家にこそ、亡くなった人達の想い出が切り離せない形で、一杯詰まっているからこそ、残しておくに忍びなかったのであろう。
 愛する人々の生と死、幸福と不幸、希望と絶望は、人間にとって、極めてありふれ事象であろう。 とはいえ、この事態に遭遇した本人にとっては、天国から一挙に地獄の奈落の底に突き落とされるような一番耐えがたいことであろう。しかし、人はこの煉獄に耐え、ここに至る煉獄の原因を自分なりに説明付け、その原因を取り除き、希望を見つけ出そうとする。ジョンソンは報復を開始して行くのである。
●ジョンソンにも、山男のハンターとしての修業時期がある。自分流に釣りを試みたり、雪降る森の中で野宿したり、鹿を撃とうとし、撃ち損じたり、ロバを凍死させたり、やることなすことすべて失敗する。唯一の成果は、凍死した山男のハチェットからホ−ケン銃30を遺品として受け取る位だけである。
 釣りの失敗の際、クロー族の大将株の人物(通称「赤シャツ」と言われていた、族長かそれに近い人物)が、彼の無様さをじっと見守っており、彼とは暫くして、邂逅し、貢物を送ることで、親しくなり、これが縁でクロー族と交易することなどを許される。
 この時期、高齢のベテラン・ハンターの「ベアー・クロウ」に出会い、気に入られ、さまざまな教えを受ける。最初、ベアー・クロウが誘(おび)き出したグリーズリー(灰色熊)を二頭、仕留め、皮剥ぎをすばやくやり遂げる。雪降る森の野宿の要領や鹿に接近し仕留めるコツも教えてもらう。「寂しくはないか、夜の生活はどうするのか」と不躾な質問もする。全部、クロウは丁寧に答える。彼はジョンソンの師匠格の人であり、前述の大将が率いるクロー族達たちとの遭遇の際も、彼が横について、クロ−族語を駆使し、巧く通訳してくれたからこそ、打ち解け合えたのである。彼は、山の賢者の風格を持っていた。 何ヶ月かの、クロウ宅での投宿の後、再び単独行の放浪に出発するが、その際も、この賢者=「師」は、「よっぽど困った時は、樹を切り、材木にし、蒸気船に売れば凌げる」とも教えてくれる。
 ベアー・クローと別れ、一人旅をしている最中、夫を行方不明にされ、一人の男の子、二人の娘を殺された「頭がイカレタ女」と出会う。彼は、この女の警戒心を解き、お墓を作り、賛美歌を歌ったり、家のドアーを修繕したり、ビスケットを焼いたりし、懸命に彼女を助ける。そして別れる際は、「川まで送ってゆくから、ケレイブと共に一緒に行かないか」と誘うが、女の方は、「自分はここに残るが、この子、ケレイブだけは連れて行ってくれ」と懇願し、拳銃一丁を渡す。窮したジョンソンはケレイブを連れて、再び放浪の旅に出る。その際に、ケレイブが啞子(おし)だと分かる。
 砂漠に出た際、砂に埋められ坊主頭だけ出した男と出会う。この人物が、3人の先住民の強盗に出くわし、銃、馬、毛皮ら全財産を奪われたデル・ギューであった。ジョンソンはデル・ギューを砂から引き出し、強盗団を追い、ついに見つけ出す。怒りに燃えたデルは、略奪されたものを奪い返し、ジョンソンとの約束を破り、強盗3人を射殺してしまう。
 ともあれ、デルを加えた3人は、再び、放浪を続けてゆくが、この地域で、もっとも山男達に、(ユタ族と共に)友好的なフラット・ヘッド族の一団と出会う。3人は、湖畔でテントを張るこのフラット・ヘッド族の村に招かれる。デル・ギューと以前から顔なじみであった、族長のツー・ダックも「久しぶりだ。『卵頭』。テントに入り、ウイスキーでも飲みながら話そう」と歓迎する。ここで、「子馬と毛皮、そして頭を剥いだ頭毛の貢物」の返礼として「娘を嫁にもらってくれ」、と<結婚話し>が持ち上がってゆく。翌日、結婚式が持たれ、デル・ギューは「半年位して、秋に又会おう」「二人の初夜を邪魔したくない」と言い、さっさと去ってゆきます。こうして、ジョンソン・スワンは、ケレイブを伴いつつ、<新婚旅行>に出発する。これが、ジョンソン・スワン・ケレイブの家族形成の前史であった。
● クロー族との決闘的戦争、死闘の凄まじさは、各シーン毎に紹介されてゆくが、数も多いし、簡潔に、次々と紹介されてゆく。 雪の中からや沼、川、断崖から躍り出て来る奇襲、突如の長槍の投擲、正面からの岩の上や川辺での面々対峙の決闘、たまには、銃撃してから、襲ってきたりする。ジョンソンはこれに勝利し、返り討ちにしてしまう。訪ねてきたデル・ウイーと野営している際も、襲撃者はやって来る。襲撃者はデル・ウイーに槍を投げつけ、隙を衝いて、ジョンソンを攻撃する。しかし、これまた、返り討ちにされる。
 デル・ウイーは、「無口な坊やはどうした」「嫁さんはどうした」と聞く。ジョンソンは一言、「守り切れなかった」と答える。さらにデルは「部族の偉大性は、対峙する敵の強さで決まる」「アパッチだったら50人くらいで、一挙に襲ってくる。」「クロー族はそうはせず、1対1の決闘的戦争のスタイルを変えない。見上げたものだ。」と言い、最後に「町に戻る以外にないのでは?」と呟いたりする。ジョンソンは、即座に「町は懲りた。」「行くのであれば、カナダにある人跡未踏の地に行きたい」と述べる。
 デル・ウイ−に続いて、「師」のベアー・クロウもやってくる。彼は言う。「遠くまでやってきたね」「悔いてはいないか」と。「<遠くまで来た>ことは確かにそうだ」「しかし、何を悔いるのか」と問い返す。月日の経過の話も出る。ジョンソンにとって、決闘的な戦争の只中にいるのだから、歳月の経過など算定する余裕はない。「今は何月だ。」 「山だから寒気が特別、強いが、それでも、4月にはなっていなく、3月だろう。春が来れば、里の開拓農民は大いに張り切る」。会話は、言葉小くなである。 別れる際、ベアーは「良くここまで、頭も剥がされず、無事に生きて来た。達者で暮らすんだよ」と声を掛けて、去って行きました。
 この後、暫くしてクロー族幹部の「赤シャツ」を着た、例の「重鎮」がやってきて、戦争を終結させようと提案するのである。

 この映画の舞台は、ロッキー山脈での、山人、ハンターの物語ではあるが、内容は、人とは何か、人生における幸福とは何か、男と女、その愛とは何か、を深く考えさせてくれる、現代に十分通じる良き名画と言って良いだろう。
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