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2016年10月09日12:09

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ナル忠(成島忠雄)の冥福を祈り、追悼します。  塩見孝也

 僕の友人、成島忠雄が亡くなった。通称“ナル忠(ナルチュー)”と言われ、僕らの世代の皆から愛されていた人、男でした。
 4月頃、亡くなったらしいが、近く追悼会をやるらしく、僕にも声が掛かってきた。それで、彼の逝去を初めて知ったのでる。
 彼は、ブント系ではあるが、党派は違っていた。が、第二次ブント学対(学生運動対策部)で、(3派)全学連再建や明大学費闘争、反原潜闘争、二つの羽田闘争を共に闘った。彼は、三派全学連の副委員長であった。僕は、その後、ブント第7回大会をやりきり、その後、赤軍派を結成することとなった。更にその後、逮捕され、20年間の獄中暮らしとなった。それでも、赤軍派は闘い続け、その過程で、森君達は、赤軍派から分派し、野合の私党である連合赤軍「新党」を結成し、同志殺しの「粛清」を行い、ー−銃撃戦も行ったが−−それ故にすぐ解体した。
 このことも、含め、反日武装戦線や黒ヘルも含む新左翼三派系は、ベトナム反侵略戦争が終るまで、内ゲバをやったりしつつも(これは、主に基本的には革共同系なのだが)、<蜂起−革命戦争>派を自称しつつ、日本・世界の武装闘争を戦った。
 ナル忠は、僕が獄にいる間も、赤軍派などと連携し、マル戦派の中で唯一武装闘争を闘った人である。(これは、僕の思い込みかも知れないが、僕はこう、聞いています。)獄にもこのような動静は伝わって来ていましたから。
 だから、彼の人となりを信用しているのだが、出獄し、彼との親交は復活した。僕は、同志に近い、親しい友人と思っていました。彼もそう思っていたと思います。静岡には、良く行き来しました。
 そうするうちに<9条改憲阻止の会>を結成して、闘うこととなり、彼もこの戦線に馳せ参じてきた。そして、第一次安倍政権打倒の選挙闘争に立候補の名乗りをあげ、みんなも彼を推して、選挙戦を全国的に展開した。僕も、彼を懸命に応援した。残念ながら落選したが、反安倍の強烈な革命的プロパガンダ闘争にはなったと思う。
 このお返しか、僕の清瀬市議選では、彼は応援してくれ、相談にも乗ってくれました。それからも、時折電話を掛け合っていたが、昨年末位以降か、交信は切れていった。病気に罹っていたのであろう。彼の母校、静岡大学の近くに住んでいた、成島家=沢山の成島兄弟が、看病し、最後を看取ったと聞く。

 僕は、今度の追悼会には参加しないつもりですが、このミクシーで、静かに追悼することとします。
 ナル忠よ、良く闘い、良く生きた。俺は忘れないぞ!冥福を祈っているよ。安らかに眠ってくれ。
 もう、一頑張りするつもりだ。
              2016年10月9日(日)
                                塩見孝也
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