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2015年05月28日03:25

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 選挙闘争総括の基本観点はいかなるものであるべきか。 「我々はこの選挙闘争に勝利した。」   塩見孝也

●「会」は、選挙闘争において、「権力の議会を通じた平和移行」などと言った、たわけて、フヤケ切った改良主義、社会民主主義、マルクス主義を騙((かたる)修正主義者の追求する資本主義議会主義選挙政治ではなく、革命的議会主義の選挙原則に則って、闘いぬいた。
 この立場、観点、方法を貫くことにおいて、渋谷金太郎・自民党清瀬市政と現日本国の執権勢力、安倍自民党政権に対して、終始一貫して、その新自由主義のグローーバリズム金融独占資本主義の欺瞞性、悪辣さ、反人民性、帝国主義性を徹底暴露し、断固たる批判を貫き通し、この政治と非妥協的に、真っ向から対決し、奮闘しぬいて行った。
 我々は、この見地で、選挙闘争を、≪社会政治闘争≫、(注、※)として闘いぬいたことにおいて、勝利した、と考える。
 
 ※≪社会政治闘争論≫は、「革命バカ一代、駐車場日記」、『最終章』において主張されている。
●この点で、既に破産している民主党や修正主義の「共産党」言うところの手前勝手なインチキ「自共対決」政治など、足元にも寄せ付けなかった
 或いは、「自分がどこに立脚しているのか、いまだ、自分自身の≪定かさ≫すらを知り得ていないで、相変わらず、右往左往し、常に浮動的で、分裂症的で、果てしなく無原則、無総括な政治を繰り返す、社会民主主義の悪癖や小ずるい小手先政治を清算できないでいる人々とも決定的な思想的・政治的境界線を鮮明にしていた。敢えて、思想的・理論的な公然たる批判は控えていたが。
 独自のステイタス、パラダイムを際立たせつつ、選挙における革命的宣伝・煽動闘争を、我々は闘い抜いた。
●それでは、我々の「独自のステイタス、パラダイム」とは何であったか?
 それは、「市民」と言う名目の下で、自分を安全圏に置き、資本の当てがいぶちで暮らし、体制への逃げ道をちゃっかりと残すような良い子ちゃん政治や<議員族>的生き方を許さない思想・価値観を示したものである。
 そもそも、革命派に対して、「市民派」を対置すること自身が、体制に寄生しようとする限界、日和見主義の危険性を最初から孕んでいることを少しでも自覚しているのであろうか?
 人間主義(ヒュ―マニズム)、平和主義、民主主義を体制の望む性質に切り縮め、その本来の姿を、まがい物にして行く危険性が、わからないのでしょうか。
 塩見は、原則的で原理的なマルクス資本主義批判、資本主義の第三段階である現代資本主義、つまり、「新自由主義」の「グローバリズム金融資本主義」の徹底的な科学的批判をベースにして、このぬえ的で、曖昧模糊たる自称「市民」達に依拠するのではなく、世界と日本の世界プロレタリアートの利益を具体的に守り抜くこと。この意味で、プチブルジョア的な市民主義者でなく労働者に立脚しようとした。
 それでもって、革命的・階級的労働運動の創出を目指し、現在、一番苦境に置かれているシルバー労働者や非正規雇用労働者の具体的な利益を守り抜くことを政治・政策の基本眼目に据えて来た。
 この点において、「会」は、日本政治の<革命的第3極>のパラダイムを象徴的に体現、代表し、なんの、一髪だに臆するところなく、まっっすぐ、まっしぐらに、「正面」「正視」「正覚」で、この選挙闘争を闘い抜いたのである。
 だからこそ、僕らの政治は、選挙闘争において、自民党との決定的対決軸を創出し得、全国からも注目され、良くやったと評価されている、のである。
 だからこそ、僕や仲間達はなんら気落ちなどせず、「この選挙闘争に勝利した」、と、断言しえ、自負し得ているのである。
●我々は、自民党破産、民主党破産の<受け皿>がどこにあるのかにおいて、「他の既成の誰それとか、どこそこの勢力ではないのか?そこに乗っかろう。利用しよう」とか、の<受け皿捜し>政治の軽薄さ、没主体性を批判した。
 その地平から、民衆一人、一人が脱却し、「己れ自身を解き放なち、民衆自身が政治の主体、主人公たらしめて行くような、民衆一人々の意識の自己否定・自己変革の意識を促す」政治を追求していったのである。
 その為の<見本>を示そうとしたのである。
 この決断は、生半(なまなか)な人ではトテモ出来ない、非情ともいえる苛酷さを引き受けてゆく、確固たる思想的、政治的信念としっかりとした理論的蓄積に裏打ちされ、体力的な試練をも「覚悟」で乗り越えてゆくことを要求する。
 これらなくしては、≪跳躍≫の決断はなし得ないのです。
 皆さん、この≪跳躍≫の意義の<苛酷さ>について、今では、可なりな程度、お分かり願えたと思います。
● この≪破天荒≫さの印象は、いかなる人々にも、強烈な衝撃を与えはすれ、それが、いかなる意味を持つか、について、いかなる人々にも、一言で概括する表現を与えはしなかった。
 <この日本列島広し>、と言えども、数ある「革命的第三極」を自認する最良の人々の中でさえも、このような、概括的表現を吐くことは出来ませんでした。
 僕は、これを、「ここがロドス島だ。ここで、跳べ(マルクス、≪資本論≫「第一部、第1巻、第1編)」というマルクスの言葉を借りて表現したのでした。、
●そして、この見地を、最初から最後まで堅守し、選挙闘争を闘ったのである。
 「非転向獄中20年」、「革命的マルクス主義を貫く」≪塩見≫を、≪リーダー≫、≪統領≫として押し立てて行くことを、最初から、多少とも、否、かなりな程度の、様々な覚束なさ、を有す<寄せ集め>軍団としての、矛盾も孕んでいたとはいえ、ーーーそれは、頭初から、承知の上で、発足したのであったがーー<会(事務局)>メンバーは、少なくとも建前上は、この点を崩すことない様に、しっかりと自覚していたのである。もっとも、社民的で、便乗的な人たちは、最初の段階で脱落してゆきましたが。続いて、具体的な仕事は何一つしないで、後ろ向きに≪ために する≫議論に耽ろうとするおべんちゃら屋の撹乱主義者も、自己の居場所を見出しえず消えて行ったのですが。
● 塩見たちを支持し、投票してくださった319名の人々に、塩見と<会>は、衷心から感謝し、同志としての連帯の挨拶を送る。
 この≪319名≫は、ただの≪319名≫ではない。この≪319名≫は、この清瀬の地から、日本社会の政治の混乱に根本的に終止符を打つ方向性を示し、日本資本主義の破綻の状態から人民大衆が根本的に脱却・脱出せんとして行くには、どうしたらよいか、を根本的に考えてゆく、この21世紀において、初めて産声を上げ、決起した勢力と言っても、過言ではありません。
 言うならば、もっともラジカル(「本質的」「根本的」であるが故に、≪急進的≫で、≪過激≫)な、この意味で、文字通り、≪革命的≫な人々であった、と言い得ます。
 僕を押し立ててくださった、僕に極めて近しい人々は、立候補推薦人の方々と「金ある人は金を、知識ある人は知識を、時間ある人は時間」を提供し、心から、闘いに同伴し、応援してくださった、沢山の清瀬と東京・関東・全国の活動的な心ある人々、グループ二種類の人々であった。長年の付き合いでプロフィールを知っていたり、この紹介文を読み、
 推薦人になってくださった諸氏は、あの連合赤軍事件政治などとは、塩見が政治的にはもちろんとして、思想的にも、理論的にも、根本的に縁もゆかりもない人物と完全に了解し、断固として推薦人になることを引き受けてくださった各界の有名人・文化人の人々でした。
 後者の人々は、無名ながら、塩見たちの試みを「金ある人は金を、知識ある人は知識を、時間ある人は時間」を提供し、闘いに同伴し、心から、応援してくださった、沢山の清瀬と東京・関東・全国の活動的な心ある人々、グループでした。
 塩見ら「会」は、このような人々に心からの感謝とお礼の言葉を、ここにおいて表明しておきます。
 ありがとうさん。お疲れさんでした。これからも、よろしくお願いいたします。
●21世紀のこの時代は、社会帝国主義的側面を増大させている中国国家官僚制資本主義も含めて、<資本主義の全般的危機>が、隠しようも無く、深化・進展している時代と捉えられます。 他面で、この時代は、階級関係の面、唯物史観的パラダイムから判断すれば、次のように規定しえます。
 「資本主義から社会主義」に世界史的・世界的規模で移行してゆく≪過渡期世界≫において、
「防御→対峙の段階」を経て、人民大衆が<能動的・攻勢的に出てゆく段階>にある時代と規定し得ます。
 そして、このような時代に相応しいような、「変革の主体を形成してゆく種(たね)播き)」の新しい政治とそのスタイルを、選挙闘争の分野でも、我々は意識的に追求し、想像的、創造的に貫徹した!、と自負しています。チェ・ゲバラやフィデルカストロの写真、パレスチナ旗、或いは「裏切り者は許さない」と言う、初々しい漫画が、事務所に張り出されて行ったことを思いだそう。
 
 このような現代世界に対する確固たる信念を持って、号砲は打ち鳴らされた!と自負します。
 
●我々「会」は、以上の見地で、この播かれた種を質量共に、確固たる勢力に、今後、育て上げるべく、必要とされる反省・総括もやりつつ、刻苦奮闘して行くことを、ここに声明する。
 
 以上を踏まえ、「選挙闘争に我々は勝利した」、と改めて、僕は宣言する。


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