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2014年12月09日05:11

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12月5・6(金、土)の「集会」「集い」の報告と瓢箪から駒が出るような形での僕の清瀬市議選立候補の決断。   塩見孝也

● 12月5日(金曜)、僕は、吉祥寺で行われた鹿砦社・忘年会に招かれました。本の出版で、世話になっていることもあり、翌日の準備もありましたが、参加いたしました。この忘年会は、40名近くで盛況でした。出版関係者やライターの方々、或いは民族派右翼の方々が主構成でしたが、その発言などは、普通のマスコミ畑の発言とは一味違い、筋の通った、安倍政権への批判や表現者の抵抗精神に溢れるものでした。
なぜなら、このような事態は鹿砦社社長・松岡利康が10年近く前、不当逮捕・投獄・裁判・有罪判決に屈せず、不屈に<表現の自由>を守り抜いた人物であり、この実績の上に、会社を再建したわけで、そこから彼独自のカネの稼ぎ方、使い方が編み出されていること。このような鹿砦社の歴史に起因していると思われました。
 僕は神戸地裁の方へ幾度か、応援に行きました。それもこれも、僕と彼が関西ブント学生運動を共有してきたこと。これが、現在の彼と僕の絆のベースにあるからだと思います。
● 翌日、12月6日(土)は大忙しの日でした。前回日記でも報じたように、午後6時より、文京区民センタ−で「9条改憲阻止の会」の政治集会があり、他方で同時刻に大久保「としちゃん」で、「叛旗」系互助会の忘年会があったからです。
 僕や仲間達4人は、両者の集会・集いに掛け持ち参加せざるを得ませんでした。 僕は、午後6:00頃、会場に着き、本の「人民奉仕無償」「一隅を照らす」の揮毫をやりつつ、半田滋さん(東京新聞論説委員兼編集委員)の「ゲスト講演」を聞きました。時間の都合上、7:30には、応援の仲間を本売りに、一人残ってもらい、会場を後にして、「としちゃん」に向わざるを得ませんでした。もっと、もっとじっくりと講演や諸発言、方針提起、沖縄からの報告、会場発言、闘争アッピールら聞きたかったのですが、やむを得ませんでした。互助会の閉会、9時を目途に、後楽園近くでやっている集会の二次会にトンボ帰りする予定でした。
 この計画は、互助会の方が、楽しい限りのこととなり、切り上げきれない状態になり、かなりもたつき、気がついて見ればもう9:30となっていました。トンボ帰りはもう無理と判断し、「としちゃん」に居残ることとしました。二次会に行けなかったことは若干、残念でした。
● 政治集会は、「12・6安倍たおせ!集団的自衛権を許すな」がメイン・タイトルで、<60年安保世代>から、<70年安保世代>へ、とこの集会の牽引軸が変化したこともあり、60年代〜70年頃の全学連大会やブント集会のような雰囲気を持った集会となりました。120名位の密集した、戦闘的集会でした。
 僕は、この集会が来年からの「安倍政権打倒!」の巨大なうねりの狼煙となるであろうと予感しました。
 プログラムを紹介しておきます。非常に良く出来た構成と思えます。
1、 ゲスト講演 半田滋さん(東京新聞論説委員兼編集委員) 「集団的自衛権による戦争のできる国づくりについて」
2、 発言
   ・川内原発再稼動阻止へ     江田忠雄
   ・経産省前脱原発テントから   渕上太郎
   ・新しい社会を求めて        下山保
              (休憩 10分)
3、安保法整備立法阻止へ       大庭和雄
4、沖縄からの報告            外間 三枝子(沖縄・一坪反戦地主関東ブロック共同代表)
5、(会場からの発言)
6、闘争アッピール            松平直彦
7、シュプレヒコール
以上でした。
● 僕ら3人はpm8:00過ぎに「としちゃん」につきました。会場は、もう出来あがっているような雰囲気で、人数的には予測通り、50人から60人、皆さん和気藹々とやっておられ、懐かしい顔も見受けられました。
 「互助会」というのは、「ブント・叛旗派」解散以降の<戦友会>とでも言えるでしょうか、その名の通り「互助」的性格を有しています。かなりの集団性、組織性も有していますが、しかし、性格はオープンで、日共と革マル派以外は、OKで、月1回、飲み会的に集まっているネットワーークといえます。ここで、いろんな情報が交換され、「身過ぎ、世過ぎ」の便宜も見つけられます。僕は、これまで2〜3度参加したことがあり、今年10月もひょんな行きがかりで、参加しました。 そこで、「忘年会は大きくやるから、来てください」となったわけです。ちなみに、明治の方もMさんなどが中心となって、この日の同時刻、忘年会が持たれていたとのこと。
 60年安保から見て、第三次安保大会戦の前夜のような世界と日本の政治・経済情勢ですから、そのことは、前面に押し出されてはいないものの、みんな歴戦の勇士達、理由(わけ)知りの身、このことを察知し、各人各様、それぞれ流にこのような情勢に対処しようとしていると理解しました。
 僕は、これまでの関係で、誤解も生じる可能性も無きにしもあらずと思い、先手を打ち、あくまでも「論争」しに行くのでは、エールの交換をしに行くことを伝えておきました。意見が齟齬する問題があるとすれば、「連合赤軍事件」についての誤解(実際は無知)だと判断し、前回の日記で表わしたような文章を「互助会」事務局の方に送っておきました。
 このことが理解されたのでしょう、会場の受付の方は、僕が送ったその文章を既に配布してくださっていました。礼儀をわきまえた、誠に立派な対応です。ありがとうさんです。
 
 「何か、いってくれ」の要請もあり、「一寸待ってくれ、後で一言しゃべるよ」とは述べたのですが、収まりがつかないようなので次のような挨拶を述べました。「駐車場管理人」の仕事をこの満7年間やってきたこと。そこで、えげつない合理化攻撃に遭い、今も闘争の最中にあること。
 これらの顛末を掻い摘んで手短かに述べました。そして「この僕の労働と生産への関わり、闘争の経過・現状について、ここに持ってきたこの本、『革命バカ一代 駐車場日記』に表わした。是非読んでください・買ってください」と新刊書を紹介いたしました。本は相当売れたようです。
 そして一息ついた後、次のように語りました。
 「この駐車場反合理化闘争は、労働問題であると同時にシルバー問題でもあり、かつ格差社会の問題でもあり、地域に於ける福祉問題、総括すれば<自主・平等・公平>、<而して自由>の地域共同体の創建・再建問題であること」「これらの問題は清瀬市自民党市政の改革・革新・変革と不可分一体であること。」「したがって、この問題を正しく解決するには、清瀬市を良くするために来年4月26日の統一地方選に立候補する以外にないと決断したこと。」「皆さんのご理解、ご支持、ご協力、ご鞭撻をお願いします」と一気に述べました。
 会場からは、拍手が沸きました。いろんなアドバイスも頂きました。

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