mixiユーザー(id:38807856)

2019年10月31日10:29

54 view

時々あること

考古学とか歴史学とか。あとになって主流な説がだいぶかわるってことよくあるんよね。

例えばなんやけどね。武田信玄公の肖像画。昔からたまに言われてた「こいつ信玄ちゃうんやねーの?」なやつ。今はあれが能登畠山のご当主じゃないん?ってのが主流になりつつありまして。教科書にも載せんくなったり“伝”がついたるするように。頼朝もこいつ別人やろてなってきたしね。

あと応仁の乱あたりの勢力関係がかなり変わってきてるらしい。なにがかわるん?って話なんやけど寺社領とか荘園とよばれるやつ。じつはここどこの寺系?ってので話変わる。ちょっと話ずれるけど大内義隆は陶晴賢の所領にしてた地域を興福寺か東大寺かは忘れた(まあ、どっちの寺かがめっちゃ大事)けどそっから返せや!って揉めてて返納使用としとるんよ。陶晴賢が完全に切れた理由そこちゃう?みたいなね。というかあの時期大内は尼子か大友どっちとくんで進出するかで家内揉めてて、陶晴賢は大友派だったし。

移動中て暇すぎるね
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する