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2021年12月10日14:35

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(読書)『不機嫌は罪である』(斎藤孝著:角川新書)(その2)

先月の10日ごろのことだが、NHK総合テレビの『シブ5時』という番組の「お悩み相談コーナー」で、「(身の回りにいる人の中に)気難しい人がいて、すぐに不機嫌になるので困る」という相談が紹介されていた。この相談への回答の中で「不機嫌は人類最大の罪である」というゲーテの言葉も紹介されていた。私の考えでは、欧米人は、人間が社交性を持っているということを非常に重視していると思われる。なぜか。それは欧米では、日本よりもはるかに個人主義が徹底しているからだろうと思う。このため、個々の個人はどうしても孤独にさいなまれる。だからこそ、個人としての人間が個人としての他人と交わる契機をいかにして確保するかということが重視されるのではないだろうか。欧米人が、人間が社交性を持っているということを非常に重視しているのはこのためだろう。

ところがこの社交性がその人の人格の上に生きるために欠かせない気質が「上機嫌」である。逆に言えば「上機嫌」の反意語である「不機嫌」が、社交性が涵養されるうえでの決定的な障害となるわけだ。ゲーテが「不機嫌は人類最大の罪である」と主張する背景にはそういう認識があると思われる。

では、日本では「上機嫌」や「社交性」はどのように認識されてきたのだろうか。私の考えでは、日本の職場(雇用の場)でのメンバーシップ幻想が社交性の代替物の役割を果たしてきたのだと思う。「メンバーシップ幻想」というのは、労働法を専門に研究している濱口桂一郎氏が唱える「メンバーシップ雇用社会」を支える基礎となっている幻想である。詳しくは「(読書)『ジョブ型雇用社会とは何か』(濱口桂一郎著:岩波新書)」をご覧いただきたい。

日本では、メンバーシップ幻想が社交性の代替物の役割を果たしているため、個々の人間が本当の意味で社交性が試され、あるいは鍛えられるということがないのだと思う。このことが、日本の現状において、個々の人々の「不機嫌」がいわば「野放し」にされてきた原因なのではないだろうか。さらに、日本の古来よりある「徒弟制」や「家父長制」の幻想も、個々の人々の「不機嫌」がいわば「野放し」にされてきたことを助長してきたと思われる(P34,35)。では、そういった不機嫌に対してどんな対策をなすべきか、そこをノウハウ本的スタンスで解説したものが本書である。

だが、そういったメンバーシップ幻想や徒弟制や家父長制の幻想を職場社会の紐帯(ちゅうたい)としてやっていく時代はもうとっくに終わっていると認識すべきだ。本書では2012年から米グーグル社が生産性の高い職場を実現するための調査研究を行ったことが紹介されている(P38)。この調査研究によると、生産性の高い職場を実現するためのもっとも大事な要素は「心理的安全性」であると結論づけられた。心理的安全性がある職場とは、「否定されたり攻撃されたりする心配がない職場」のことである。逆にいえば、「上機嫌」の雰囲気が基調となっている明るく和やかな職場において、離職率も低くなり、仕事の効率が上がり、高度な生産性が達成できるのである。

【関連項目】

(読書)『不機嫌は罪である』(斎藤孝著:角川新書)

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1980819370&owner_id=3879221

(読書)『ジョブ型雇用社会とは何か』(濱口桂一郎著:岩波新書)

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1980769948&owner_id=3879221
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