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2021年12月08日17:24

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(読書)『言語が消滅する前に』(國分功一郎、千葉雅也:幻冬舎新書)

『言語が消滅する前に』(國分功一郎、千葉雅也:幻冬舎新書)という本を読んでみた。この本は、國分功一郎さんと千葉雅也さんとの対談という形式で構成されており、現代人がかかえる哲学的課題について意見を交換している。興味深いポイントが随所に示されており、読んでいて大変おもしろい。自分がこれまで歩んできた人生の様々な局面をどう解釈すればいよいかなど参考になることがたくさん発見された。特に興味深かったポイントを2つに絞って紹介してみたい。

1.まず最初に國分功一郎さんのほうから「中動態」という文法概念について紹介がなされる。中動態とは、英文法の授業などで習う能動態と受動態の中間の態のことである。英語や日本語には中動態などという文法はないが、古典ギリシア語にはこれがあるらしい。例えば、ペルシャの王様がギリシアのポリスを統治するために法律を定める場合は能動態になる。ところが、アテナイのデモクラシー、民主制ならば、自分たちを統治する法律を自分たちで作って、その下で自分たちが生活していくわけだから、この場合、法の制定は中動態で表されるという(p19)。

この「中動態」という概念を知っていると、「あ、ここは本当なら中動態で表されるべき局面だな」と気づかされることが多々ある。例えば教師が教室で生徒に向けて授業をするとき、この「授業をする」という動詞は中動態で表されるべきであるという(P58)。つまり、もしこれを能動態と受動態だけでとらえようとすると、教師は「私授業を授ける人」、生徒は「私たち授業を受ける人」という2者対立的な図式でしかとらえられないことになる。これは本来の授業のありかたではないという。

このとらえかたは、様々な局面で応用できそうだ。例えば事業主が労働者を雇用する場合、この「雇用する」という動詞は中動態で表されるべきであると思う。つまり、事業主は「私雇用する人」と澄ましていることは不適切であり、労働者も「私雇われている人」と澄ましていることも不適切になる。やはり、雇用主も被雇用者も一体となって、事業におけるその就労についての問題を共有して解決しようとするマインドが求められる。それが本来の雇用であるといえよう。

私は以前、ある特許事務所の経営者から、「雇用ということじゃなく、事務所内で就労して欲しい」という申し出を受けたことがある。この「雇用ということじゃなく、事務所内で就労する」というのは、端的に言えば偽装請負モードで就労するということに他ならない。では、そもそも「雇用ということじゃなく、事務所内で就労して欲しい」などという発言がなぜ出るのかというと、この特許事務所経営者が「雇用する」という動詞を能動態と受動態だけのパターン思考でとらえているからである。つまり、「私雇用する人/あなた雇われて働く人」そういう関係ではなしに、事務所内就労して欲しいと言っているのである。これは事務所内で請負業者として労働せよということなのだろうか。それとも事務所内で奴隷のように労働せよということなのだろうか。その実質内容が「雇用ということじゃなく」という言葉によって得体のしれない空洞状態になるのである。この空洞化は、「雇用する」という動詞が本来もっている中動態的本質の把握が抜け落ちているから起こるのである。

2.もうひとつ、本書では「コミュニケーション」ということについて非常に本質的な考察が展開されている。本書のP66には対談者の千葉雅也さんから「コミュニケーションが全面化している」、「すべてがコミュニケーションに支配されている」という警鐘が発せられている。ここで読者として注意すべき点は、千葉さんが言う「コミュニケーション」とは、いわば「情報伝達としてのコミュニケーション」だけを指しているという点である。つまり、ここでいう「コミュニケーション」とは、「私情報を発信する人」、「あなた情報を受信する人」という2者対立的図式だけで捉えられているコミュニケーションのことである。

ここですぐわかると思われるが、こういうコミュニケーション観は、「コミュニケーションを図る」という動詞を、能動態と受動態だけでとらえようとしているコミュニケーション観である。本来のコミュニケーションは、まさに中動態的動詞なのである。西部邁と新野哲也との対談で構成されている『正気の保ち方』(光文社)という本を読むと、コミュニケーションを図ろうとするマインドの本質的特徴は「能動的受容性」であるという(同書P122〜123)。このことは、「コミュニケーションを図る」という動詞が、本来は中動態で表現されるべき動詞だったことを裏付けていると思う。

本書では、「現代においては言語が消滅しかかっている」という問題意識に基づいて対談が行われているが、むしろ、現代人のコミュニケーション観は、「私情報を発信する人」、「あなた情報を受信する人」という2者対立的図式だけで捉えられる薄っぺらなコミュニケーション観に堕しているという問題意識に基づいて再構成したほうがいいかもしれない。
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