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2021年04月27日21:52

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(産業経済)仕事は人格陶冶に役に立つか

最近、デヴィッド・グレーバー著『ブルシット・ジョブ』という本を読んで大変啓発を受けた。この本から得た知見の中の一項目について、読書感想文という枠から出て考察を展開してみたい。その項目というのは、この本の著者は、「仕事が人を善き人間にすることはない」と言い切っている点である(P294)。著者によると、それどころか、仕事に従事することによって、かえってもっと悪い人間になることすらあるという。その理由は、著者によれば、仕事に多大な時間を取られると、社会的政治的義務を果たすことがむずかしくなるからとしている。

著者の指摘はある意味とても理にかなっており、いかにもアメリカ人らしい問題提起のしかたとして共感できるものであるが、私ならこの問題を次のように言い換えてみたい。すなわち、仕事というのは「人格陶冶(じんかくとうや)」には全く役に立たないということだと思う。「人格陶冶」という言葉はいまや死語に近くなっているが、人間が人格陶冶をするには、例えば読書をしたり思索にふけったりすることが重要と思われる。ところが、職場で目が回るほどこき使われて、仕事にエネルギーを吸い取られると、人格陶冶どころの話ではなくなる。実際、電通の高橋まつりさんが過労からうつ病を発症して入社2年後のクリスマスの夜に自殺してしまうというような悲惨な事件も起きている。

いまの日本の(いや世界全体の)生産力は生産技術の進歩などから十分高いレベルに来ており、本当ならこの高い生産力の恩恵を受けて、人はもっとゆとりを享受できるはずなのだ。実際、例えば日本では、毎年650万トンくらいの食糧が廃棄されているらしい。これは、日本や世界の食糧生産力は、十分強力な水準にあることを示唆している。生産力が強力なのは、おそらく食糧の分野だけではないだろう。本来なら、この強力な生産力を労働者のゆとりに還元し、個々の人間は人格陶冶ができるのなら人格陶冶でもしたほうがよっぽどましなはずだ。世界の生産力は十分強力なのに、これが勤労者のゆとりに還元されていないという矛盾をどう解決するべきか。おそらく経済学者の出番だろう。経済学者は怠惰をむさぼっていてはならない。

【関連項目】

(読書)デヴィッド・グレーバー著『ブルシット・ジョブ』(岩波書店)

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1979062474&owner_id=3879221

(その他)経済学と道徳哲学

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1979074920&owner_id=3879221
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