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2020年07月27日11:15

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(読書)『海はどうしてできたのか』(藤岡換太郎著:講談社ブルーバックス)

『海はどうしてできたのか』(藤岡換太郎著:講談社ブルーバックス)という本を読んでみた。最近、高校レベルの理科の知識を前提に書かれている自然科学の啓蒙書を読んでいる。理由は、高校レベルの教科科目の復習をしてみたいということがひとつ。もう一つは、1999年に亡くなった父が生前著した本『灼熱の氷惑星』という本が、どの程度自然科学の教養を前提に書かれている本なのか、その「まじめ度」を検証してみたいという欲求があるからである。

以前に、mixiのユーザーさんが、この『灼熱の氷惑星』という本についてどんな感想をいだいているのか、「宇宙」というコミュニティにメッセージ投稿して尋ねてみたことがある。すると、あるユーザーさんから、「とんでも本の一種だ」という感想が返ってきた。私も実は「とんでも本の一種」という感想を持っている。

この『灼熱の氷惑星』という本は、「地球の水は多すぎる」という着想が出発点になって書かれている。ご存知のとおり、地球の表面の約7割は海洋に覆われている。しかもその平均水深は4000m程度で、この海洋に蓄えられている水の総量は相当なものである。父の当初の着想は、「この水量は惑星に蓄えられている水の総量としては多すぎる。何らかの理由で、地球の外部から水がもたらされたに違いない」というのである。そしてその原因として父が考えたものが、太陽系には水(氷)でできた惑星(←これを『灼熱の氷惑星』と呼んでいる)があり、それが地球に接近したとき、大量の降雨で地球にもたらされた」というのである。この仮説を本にまとめたものが『灼熱の氷惑星』なのである。

この仮説のおかしな点として最初に思い浮かぶのは、「もし地球に蓄えられている水の量が不自然に多すぎるのであるなら、その地球に大量の水をもたらしたその『灼熱の氷惑星』に蓄えられている水の量も不自然に多すぎるということになるのではないだろうか」という点にある。

で、私がこの『海はどうしてできたのか』という本に求めた解答は、「地球に蓄えられている水の総量は、本当に多すぎると言えるのか」、「多すぎる、少なすぎるの判断の根拠になりうる、何か科学的な考え方は成立しているのか」という点にある。

この『海はどうしてできたのか』という本の中には、ドンピシャの解答になりうる部分はかならずしも発見できなかった。しかし、十分参考になる考え方は発見することはできた。それはこの本の第4部「海のゆくえ」に書かれている。それによると、一説によると、いまから10億年くらい経つと、海洋の水がマントルの中に吸収されて没してしまい得るというのである(P187)。

このことは見方を変えると、マントルには海洋の水の成分を吸収してしまいうるくらいの「吸収能力のポテンシャル」があるということである。現在はなんらかの理由でマントルが水成分を吸収せずに、海洋に吐き出すメカニズムが働いているために、海洋に水が保たれていると考えることができるのである。そうだとすると、「かならずしも地球の水は多すぎるわけではない」という見解が成り立つのである。

【目次】

第1部 原始の海(1月1日―地球の創世記
1月12日―月の誕生
2月9日―海洋の誕生)

第2部 海の事件史(2月25日―生命の誕生
5月31日―酸素の発生
8月3日―超大陸の出現
12月12日―海洋無酸素事件
12月27日―最後の大変動)

第3部 海水の進化(海とは「鍋」である
海に入るもの
海から出るもの
海底地形の機能)

第4部 海のゆくえ(海が消えるシナリオ
海が消えた星)

【関連項目】

(読書)『新しい高校地学の教科書』(杵島正洋他著:講談社ブルーバックス)

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1976151993&owner_id=3879221
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