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2020年06月24日18:06

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(人生)徳の高い人同士は…

今日は『100分de名著・純粋理性批判』の第4回放送分の再放送日なので、朝と昼2回とも再放送を見てみた。なにしろカントの「純粋理性批判」は、例えば光文社の文庫本だと全7巻にわたる長大な著作だ。中身は本当に難しいのだろう。

今日、2回の再放送をみてはっきりわかったことがある。それは、テキストの記述内容と、テレビ放送で解説していることとは、だいぶ異なるということだ。テキストは指南役の西研さんが相当わかりやすくかみ砕いて記述してくれているが、それでも一般の人むけにはけっこう難しい。そこでテレビ放送では、そのテキストの分かりにくいところを、うんと卑近な例を挙げて説明しなおしている感じだ。

たとえば、今回の第4回放送分のテーマは、カントの道徳観なのだが、このカントの道徳観を、現代の卑近な例で考察している。テレビに登場したのは、電車の中で目の前にお年寄りが立ってきたら、そのお年寄りに席を譲るか、という問題である。

この場合、そのお年寄りに「どんな動機で席を譲るのか」ということが問題になるようだ。例えば、「いつまでも席をゆずらないままでいると格好が悪いから席を譲る」のような動機で席を譲るのは、カントの道徳観に照らし合わせると「×」なのだという。そうではなく、「この社会をお年寄りが席を譲られるような社会にしたい」という実践的な理念に基づいて席を譲るという行動にでるのであれば、この「席を譲る」という行動は「〇」なのだという。

こういうカントの道徳観に基づいて、この世の中に徳の高い人が増えてくれば、良い世の中になることは間違いないように思う。私の推察では、そういう世の中になれば、社交が楽しくなるだろう。

これは聞いた話だが、ヤクザは、例えば街でヤクザとすれ違うなどした場合、「ん、あいつはヤクザだ」ということがわかるらしい。ヤクザ同士、テレパシーのようなものが通じ合うようだ。これと同じようなこととして、徳の高い人が徳の高い人と出会うと、「ん、この人は徳の高い人だ」ということが分かるのではないだろうか。すると、そこから楽しい社交が始まる可能性がある。実際、カントはなかなかの社交家であったようだ。

ただ、この場合の注意点として、道徳というものを教条主義的にとらえてはならないだろう。人間はある程度は享楽主義的だし、私利私欲も人生を推進するエネルギーになる。そういう自分を大切にしながら、ときには「徳の欠如」と戦う胆力を保持するようにすれば、人間らしい人生が送れるような気がする。

【関連項目】

(読書)『100分de名著・純粋理性批判』(その4)

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