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2020年06月23日14:29

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(読書)『100分de名著・純粋理性批判』(その4)

昨日、『100分de名著・純粋理性批判』の第4回放送があったので見ていた。今回は、「自由と道徳を基礎づける」ということがテーマである。カントは、道徳的に生きることを最高の生き方とするだけでなく、道徳的に生きるところにこそ人間の自由があると主張している。カントはこの『純粋理性批判』という大著を書き進めていって、どうやら「道徳」というものが哲学のバックボーンになっていったようなのだ。

このように道徳というものの価値が全面に出てくる哲学には、反発というほどではないとしても、なんとなく違和感を感じる人は多いのではないだろうか。実際、今回の講座の指南役である西研さんも、このカントの道徳を重んじる哲学に対して激しく拒否する哲学の例として、ニーチェの哲学を紹介している(テキストP100)。

また、人間はみずからを道徳的存在として完成させるためには、死後も修練しなければならない、とまで主張しているらしい。このあたりは、さすがに指南役の西研さんも「そこまではちょっとついていけないなぁ…」という感情を率直に吐露している(P116)。

また、これはテキストのかなり後の方に出てくる話であるが、「道徳は物自体の世界(叡智界)に属するものなので、人間には認識できない」ということが書いてある(P122)。人間が道徳を認識しえないのに、なぜ人間は道徳を実践しうるのだろう。このあたり不可解な印象を受ける。私は、道徳も人間同士が認識の世界で共有する「共同幻想」の一種であると考えるべきなのではないかと思う。

指南役の西研さんも、このあたりにカント哲学の限界を見出しているようだ。そして、このカント哲学の限界を乗り越えようとする試みとして、フッサールの「現象学」という哲学を紹介している(P123)。フッサールによれば、人間にとって見たり聞いたりすることだけが体験ではなく、想像したり思考したり憧れたり祈ったり怒ったりなどのすべてが体験であり現象であるとみなすのである。

このように考えれば、まったく体験できない物自体(叡智界)を想定する必要はなくなる。こうして、すべての物事は広義の意味での「現象」であるから、これを考察すればよいとして、物自体の世界をなくしてしまったのである(P124)。

最後にこの講座の指南役である西研さんが、今回なぜカントの『純粋理性批判』をとりあげたのか、その趣旨を説明してテキストを締めくくっている。現代はAI(人工知能)万能論がはびこっており、2045年ごろにはシンギュラリティが到来するとの予測すらある。しかし科学もAIも、人間の認識の営みが作り上げたものだということはくれぐれも忘れてはならない。つまり、あくまで「人間が先、科学や技術は後」なのである。科学的な知や人間の価値の根拠を考えることは、今後、ますます重要な課題となっていくはずだ。それについて大規模で体系的な構想をつくり上げたのは、間違いなくカントであり『純粋理性批判』であるというのである。

【関連項目】

(読書)『100分de名著・純粋理性批判』(その1)

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1975889897&owner_id=3879221

(読書)『100分de名著・純粋理性批判』(その2)

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1975949365&owner_id=3879221

(読書)『100分de名著・純粋理性批判』(その3)

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1976019967&owner_id=3879221

NHK番組HP

https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/98_kant/index.html#box01

第4回 自由と道徳を基礎づける

【放送時間】2020年6月22日(月)午後10時25分〜10時50分/Eテレ【再放送】2020年6月24日(水)午前5時30分〜5時55分/Eテレ2020年6月24日(水)午後0時00分〜0時25分/Eテレ※放送時間は変更される場合があります

【指南役】西研(東京医科大学教授)…著書『哲学は対話する』『読書の学校・ソクラテスの弁明』等で知られる哲学者。

【語り】小坂由里子
理性の能力の限界を厳しく吟味すると「神の存在」や「魂の不死」は証明できないことが明らかになる。ではなぜ古来人間は、神や魂について考え続けてきたのか? その動機の裏には「かくありたい」「かく生きたい」という「実践的な関心」があった。「神の存在」「魂の不死」を前提としなければ道徳や倫理は全く無価値なものになると考えたカントは、それらを「認識の対象」ではなく、実践的な主体に対して「要請された観念」だと位置づける。この立場からカントは、科学によって居場所を失いつつあった価値や自由といった人間的な領域を基礎づけようとする。第四回は、科学が主導権を握りつつあった世界にあって新しい道徳の復権を目指したカントの思索を通して、知識や科学だけでは解決できない「人間的価値や自由の世界」を深く見つめ直す。
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