このニュース、我々日本人としては、原告のSFFA(Students for Fair Admissions)側にくみしたい気分が生じるかもしれない。ところが私のマイミクさんのお一人は、「日本の大学試験は未だに勉強ができれば、テストでいい成績が取れれば大学に入れるという形をとってるが、受験者の選抜をもっとホーリスチックに見るべきだ」という意味のことをおっしゃっている。そう言われてみればその通りかもしれないと考えるようになった。
試験の点数が高ければ、その点数の低い人間よりも優先的に合格が与えられるべきだ、という考え方は日本をはじめ、アジアに根強いようだ。だが、「優秀な学生」というものの概念を、試験の点数だけではなく、人間的魅力など人格全体を評価対象にして構築していくべきだろう。ハーバード大学は、そのための努力をしているということなのかもしれない。「人間的魅力」といった主観的評価基準は、公正さを欠きやすいことは事実だろう。だが、「人格全体を評価対象にした入学選抜」を実施しようとする努力に対しては一定の評価はするべきだろう。
ところで、「おとなしい人間はおとなしいがゆえに人間的魅力が低評価になる」という評価基準は大変興味深い。大学のようなアカデミズムの場はいざしらず、日本の職場社会では、「おとなしい、従順な人間」が好まれていることは疑いないからだ。
【関連項目】
「アジア系学生の入試差別問題」の裁判でハーバード大学が勝訴
https://gigazine.net/news/20191003-harvard-admission-affirmative-action/
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■「ハーバード大がアジア系差別」 米連邦地裁が訴え却下
(朝日新聞デジタル - 10月02日 18:16)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5811123
米ハーバード大学が入学選考でアジア系米国人を差別し、公民権法に違反しているとして訴えられていた裁判で、マサチューセッツ州連邦地裁は1日、訴えを退ける判決を言い渡した。訴えが認められれば、アフリカ系ら少数派を優遇する「積極的差別是正措置」の撤廃につながりかねないとして注目されていた。原告側は控訴する意向だ。
訴えていたのは、NPO「公平な入学選考を求める学生たち」(SFFA)。アジア系は選考基準の一つとなる「大学進学適性試験」(SAT)で高得点の傾向があるのに割り振られた入学枠が少なく、ほかの人種より合格率が低い、と主張。
「アジア系はおとなしい」との先入観から「人間的魅力」で低評価を受けているとも訴えた。
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