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2019年02月05日20:21

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(読書)『もっと言ってはいけない』(橘玲著:新潮新書)

たいへん面白い本である。この本のタイトルは『もっと言ってはいけない』という奇妙なタイトルになっている。著者がこのようなタイトルを付与した理由は分からないでもないが、私が著者だったら、例えば『現代人類学入門』のようなタイトルを付けると思う。それくらい、この本には人類学的見地から興味深い知見が豊富に盛られている。そしてそれらは何か口に出すことを忌避すべき内容では決してなく、もっと広く一般の人が共有すべき知見ではないかと思う。

本書の「あとがき」の部分に非常にコンパクトに要約されているが、人類史には主として3つの大きな「革命」が起こったとされる。本書によれば、第1の「革命」が石器の発明である。この場合の石器は、シカやイノシシのような野生動物を狩るときに使うツールである。石器を用いて、シカやイノシシを殺せるということは、この石器を用いて人を殺すこともできたわけだ。著者によれば、人類が石器を発明することによって、「誰もが誰をも殺すことができる社会」になったとしている。この本には「自己家畜化」というユニークな言葉が登場する。「誰もが誰をも殺すことができる社会」が到来したことにより、「殺されないように」、「嫌われないように」努力するインセンティブが人間に生じた。そういう温和な人格形成をしていこうとする指向性を「自己家畜化」といっているのだと思う。

人類史の第2の革命は「農業の開始」である。人類が農業を開始することにより、人類は狩猟採取生活から、土地にしばりつけられた人口密度の高い集団生活に移行した。このことも、人間の自己家畜化を推進する方向に働いた。そして第3の「革命」は、いわゆる「産業革命」である。産業革命以降、人間の社会は知識社会となった。このことも、人間の自己家畜化を推進する方向に働いた。

なお、本書にはコミュニケーションの「低コンテクスト」と「高コンテクスト」という興味深い概念が登場する。アメリカの文化人類学者エドワール・ホールによれば、言葉に表現された情報のみが意味をもつコミュニケーションを「低コンテクスト」と呼び、言外の意味やニュアンスを大事にするコミュニケーションを「高コンテクスト」と呼ぶ。前者の典型がドイツ語、後者の典型が日本語らしい。

そして著者の分析によれば、日本人は心の感受性が強くなる遺伝子を受け継いでいて、これがときに不安感を増幅し、環境を変えることを過度に恐れ、ムラ的なタコツボ組織に閉じこもって安心しようとする傾向を生んでいるようだ。日本人の生得的な敏感さは、変化やリスクを極端に嫌い、お互いがお互いを気にする「高コンテクスト」の社会をつくりあげてしまう。

著者によれば、日本人の不幸とは、遺伝的にストレスに弱いにもかかわらず、文化的に高ストレスの環境をつくってしまっていることにあるという。このような知見を踏まえ、これから日本人はどのように知識社会を構築していくべきかを考えることが、読者に投げかけられた重い課題だろう。その意味で、まさに「言ってはいけない」などと澄ましてはおれないのであって、多くの人が真剣に問題意識を共有すべきではないかと思うのだ。


【目次】

プロローグ 日本語の読めない大人たち

1.「人種と知能」を語る前に述べておくべきいくつかのこと

2.一般知能と人種差別

3.人種と大陸系統

4.国別知能指数の衝撃

5.「自己家畜化」という革命

6.「置かれた場所」で咲く不幸―ひ弱なラン

あとがき

註釈:参考文献
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