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2019年01月09日14:28

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(人生)いじめの傍観者こそ問題

この記事は、自分の子どもがいじめの加害者になった場合の対処方法について書かれている記事である。自分の子どもがいじめの傍観者をしている場合の問題点については何も考察していない。ところが、いじめの傍観者にこそ本当の問題が潜んでいるように思う。今日、中島義道の『<対話>のない社会』(PHP新書)という本を読み返してみたが、非常に興味深いことが書かれているのに気が付いた。その部分を抜き書きして紹介しよう。

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「いじめ」を傍観する者は加害者である
佐藤愛子は言っている。

 虐める子、虐められる子のことばかり識者は問題にしているが、虐めッ子に付和雷同している大半の子どもたちも問題ではないのか。
 子どもたちは何よりも平和が大切だと教えられて来た。暴力はいけない。説得しなさいと教えられている。他人の気持ちのわかる人になりなさいと教師も親も一様にいう。だが今はかつてのように「正義」や「勇気」については教えない。怯懦(きょうだ)は恥だということも教えない。無事平和に過ごすには怯懦がよい、いけないことは蛮勇を振って怪我をすることなのである。
 虐められた子供に勇気ある友達が一人でもいれば彼は死ななかったかもしれない。「他人の気持ちをわかる人間になれ」と教えられているから、わかることはよくわかるのだが、この場合わかったところでしょうがないのである。
「わかるけど、どうにも出来ないもんなあ。人間は誰しも我が身が可愛いからね」
「それが人間というものなんだよ」
 子供がじいさんのようなことをいっている。カチカチ山のウサギは一匹もいない。……
 今の教育は人として「戦うべき時には戦う」ということを教えなさすぎると私は思う。
  (『中央公論』1995年4月号)
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佐藤愛子の発言を著者の中島義道が引用しているわけである。私は、この引用文の佐藤愛子の発言、「今の教育は人として『戦うべき時には戦う』ということを教えなさすぎる」という部分に注目したい。学校では、進学や受験に役に立つことを生徒の頭に詰め込むことには一生懸命だが、教師も父兄も、子供をどういう人格の持ち主に育てたいかということに関しては、全く哲学不在だと思う。

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■もしわが子がいじめの加害者になったら…
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=77&from=diary&id=5447077
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