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2017年08月22日17:57

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(教育)存在否定の眼差しこそがいじめの本質

「存在否定の眼差しこそがいじめの本質」ということが書かれている。もしこれが本当なら、存在否定の眼差しを向ける人が「いじめっ子」だということになる。なぜ人はいじめっ子になりうるのだろう。

 この記事によれば、「できる子ならば愛されて、できない子ならば愛されない」、そういう体験をすると、子どもだけの世界になるとあからさまにスケープゴートを求める。つまり自分の存在を肯定するために、ほかの誰かに存在否定の眼差しを向けるのだという。

 いじめを防止するには、多様な価値観で子どもを包み込むことが必要だと思う。価値観が多様ならば、一つのことでだめでも、別のことで救われるということがありうる。いいかえれば、いろいろなところに「逃げ場」があることが必要だろう。

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■子どもの自殺ピーク“魔の9月1日” 「もう死にます」 どうして小6女児は死を望んだのか
(AERA dot. - 08月22日 07:02)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=4727554

 夏休みが終わり、早い学校では8月22日前後から新学期がスタートする。これからやって来る9月は1年で最も子どもの自殺が増える時期だ。「不登校新聞」編集長の石井志昂さんは、子どもたちを死に追いやっているのは「目に見えるいじめ」だけではないと訴える。あなたは“子ども”にどんな目線を向けていますか?

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「もう死にます、ごめんなさい」

 そう覚悟を決めたのが小学校6年生の秋だったと、ある女性(現在15歳)は言いました。 同級生からいじめを受け始めたのは、小学校5年生のとき。自分のまわりを通るときに鼻をつまんで「クサイ」と言われ、「×日前にも同じ服を着てたよね」「○○で給食、食べてたよね」など、その一挙手一投足を遠巻きに見てバカにするようにささやかれたそうです。 彼女はいじめを家族の誰にも言えませんでした。「きっとわかってもらえない」と思っていたのが理由です。 誰にも相談できないまま、ガマンして毎日いじめられる学校へ通っていましたが、先生からの叱責がきっかけで感情が一気に爆発。家で泣きながらこう思ったそうです。

「この世のすべてものに謝りました。もう死にます、ごめんなさい」

 その後、彼女は保健室登校になりましたが、中学でもいじめにあい、現在は不登校中です。

■9月1日は子どもの自殺がピーク

 9月は「9月1日」を頂点に子どもの自殺がもっとも多い月です。なぜ子どもたちが追い詰められてしまうのかを考えたとき、彼女のケースからわかることは多くあると思います。

 一つは、自殺リスクが高まる人は、かならず自分の存在自体が否定される経験を積み重ねているということです。

 子どもの自殺が起きると、大人は暴言や暴力など「目に見えるいじめ」があったのかを探します。しかし、いじめの本質は目に見える暴力ではありません。「存在否定の眼差しこそがいじめの本質です。「無視」のような一見すると暴力とは思えない「視線だけの暴力」が成立するのも、眼差しに暴力性が込められているからです。しかもそれによる苦しみは周囲に理解してもらいにくいのです。

 そして苦しさを抱える人は、まるで切望するかのように自分の死や破滅を求めます。なぜなら存在否定の眼差しを自分自身にも向けてしまうからです。

 彼女は「この世のすべてのものに謝りました」と話しました。いじめを受けていた彼女に謝るべきことなど一つもないはずなのに。否定され続けた自分は許されない存在であり、それを懺悔する意味で「死」を誓ったのです。

 実は、多くの子どもたちは、いじめ以前にこの眼差しにさらされています。「子どもだから」とバカにされ、勉強ができなければ親から怒られる。自分の存在自体に価値はなく、「できる子」ならば愛され「できない子」は愛されない。そいういう中で育ってきた子は、子どもだけの世界になるとあからさまにスケープゴート(身代わり)を求めます。つまり自分の存在を肯定するために、ほかの誰かに存在否定の眼差しを向けるのです

 これがいじめの成り立ちですが、いったい誰が最初に「存在否定の眼差し」を子どもに向けてきたのか。もっと社会の側が問われるべきだと思っています。

■追い詰められた子に何ができるのか

 実際に人知れずいじめを受け、自分の存在を否定されてきた人に対しては、何ができるのでしょうか。それは、存在自体を肯定される経験を積み重ねるしかないと私は思っています。

 私が知る限り、特別な場や特別なケアよりも、親がいっしょに笑ってくれるだけで、ずっと精神的に楽になるケースのほうが多いです。たわいもない話で笑いあったり、苦しかった気持ちを共感されたりするなど、なんでもない日常のなかに「肯定される」経験は転がっています。

 冒頭の彼女は現在「親が変わったことで家のなかで居場所ができた」と言います。不登校をしていますが、安心できる家のなかですごすことで気持ちはだいぶ救われているそうです。眼差しは、人を追い詰めることも、安心をもたらすこともできる。この点は、9月1日を前に、自殺リスクが高まる人にだけでなく、多くの方に知ってもらいたいと思っています。
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