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2020年01月19日11:09

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死を怖れるが故に、死者を美化する、死に至る病。

久々の自己トゥギャッターです。↓

東ちづる @ChizuruA1 ·「必ず死んでこい」と言われ、それに背いた佐々木氏と同じことができるだろうか。 実は本質的には日本社会は変わっていないのではないか。 本当に特攻は志願だったのか、なぜあんなにも賛美されたのか。 命を消費する日本型組織から、1人の人間として抜け出す強い意思・・・

『不死身の特攻兵』92歳の軍神、鴻上尚史に語る──命令無視で生還できた理由 http://news.kodansha.co.jp/5707


職場や見かけ上お友だちグループの空気にさえ逆らえない今の日本人一般が、政府や国家権力に逆らえるわけがない。軍国化したらイチコロだ。

死ぬことが勇気のように言う人もいるが、周囲全体で慢性的にそういう状況に囲いこまれたら、死ぬことはそんなに難しくはないあきらめなんだと思う。だからこそ、今の日本でも自殺や過労死が絶えないんだろう。

それとは裏腹に、他人の死を見てヒロイズムに浸りたい人は、いつの世にもいる。
まるで自分のために死んでくれたような錯覚を得られるので、病的で中毒的な快感を得られるからだろう。

一方、死んでいった人達は、嫌々ながらが大半だろうが、中にはヒロイズムで自分を納得させようとした人もいるんじゃないかと思う。そうなってしまった以上、そう思いこまなければやってられない、…という思考・感性の醸造ルートだってあるはず。これは左翼・リベラル系の人には、なかなか受け入れがたいだろうけど。

やっかいなのは、そうしてヒロイズムで自分を納得させようとしたまま未成仏霊となった者達が、他者にも納得させようと、現代日本人に憑依してくるケースだ。霊的現象としては、そういうのも考慮すべき。

今の若い世代が右傾化しやすいという現象も、心のエアーポケットに憑依されやすい思春期の産物かもしれない。戦後、抑え込まれ封じこまれてきた右傾未浄化霊界が、なにかの拍子にダムが決壊して溢れだしてきた。

その「死」が、本当に日本のために(皆のために)なったかどうか、という視点は完全に欠落して、「死」を賭しさえすれば美しく英雄的な行為とする。死んで(死なせて)しまった以上、そう思わなければいられない、という心性は、日本人の最もいけない病気だ。

つまりこれが怨霊信仰が発生するメカニズム。無辜の犠牲となって死んでいった者達の憂さ晴らしと、生き残った者達の後ろめたさを、すべて正当化し美化するために生まれたもの。

怨霊信仰は太古の昔からあったわけではない。大和朝廷が生成発展する過程で、陰謀や政争の犠牲者が裏の世界に封じ込まれ、その逆襲(祟り)を怖れる心理から生まれた、誉め殺し信仰だ。その延長に靖国神社がある。

死を怖れるが故に、死者を美化する、死に至る病…。
しかし実際は、死は日常であり、生との連続体であり、ことさら特別な異界ではない。
その連続性をこそ咀嚼するべきで、切り離され美化された死を信仰するべきではない。
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