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2016年01月20日21:32

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零戦が日本を飛ぶのは、「戦後初」ではない。

 戦後初 零戦、再び日本の空を舞う 「先人が築いた技術をみよ」 1月27日、鹿児島県鹿屋市
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=3&from=diary&id=3813013
 零式艦上戦闘機(零戦)が今月27日、海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)の上空を飛ぶ。機体を所有するニュージーランド在住の日本人と、防衛省などの調整が終わったことが20日、わかった。日本の空を零戦が舞うのは、戦後初めてで、関係者は「日本の繁栄を築いた先人の勤勉さと技術革新に、思いをはせるきっかけにしてほしい」と語った。
 飛行予定日は27日で、28、29を予備日としている。基地内への立ち入りは禁止だが、周辺で飛ぶ様子を見ることはできる。パイロットに、零戦の飛行免許を持つ米国人を招く。
 機体は、ニュージーランドを拠点に、フライトジャケットの製造・販売会社を経営する石塚政秀氏(54)が所有する。
 現在、飛行可能な零戦は世界中に6機ある。所有者のうち日本人は、石塚氏だけという。平成22(2010)年5月、国内で零戦を飛ばす「零戦里帰りプロジェクト」を設立した。

 プロジェクトのきっかけは、トラブルだった。
 19年半ば、石塚氏のもとを、北海道小樽市の関係者を名乗る男性が訪れた。博物館で展示するために、零戦を入手したいが、その交渉を手伝ってほしいという依頼だった。
 石塚氏は、米国の飛行機収集家やパイロットに人脈があった。石塚氏は仲介を引き受けた。
 零戦を保有する米カリフォルニア州の有名バイクレーサーと売買契約を結んだ。彼が所有する機体は、パプアニューギニア・ラバウル近郊に放置されていた零戦22型で、米国人が1970年代に入手し、飛べるように復元していた。
 だが、契約後にリーマン・ショック(2008年9月)が発生した。男性が持ち掛けた零戦展示構想は、景気悪化のあおりを受けて、中止になったという。
 売買を取りやめれば、米国人レーサーから億単位の違約金を求められる。石塚氏は訴訟も考えたが、相談した弁護士に「零戦を生かす方法を考えた方が、自分の人生のためではないか」と諭された。
 石塚氏はもともと、飛行する零戦を日本人に見てもらいたいと夢を抱いていた。「それなら、日本で零戦を飛ばそう」。腹をくくった。
 3億5千万円かけて零戦を購入した。ニュージーランド・クライストチャーチにある牧場や自宅、車などを売り、借金もした。
 購入から4年半が経過した平成26年9月、機体が横浜港に到着した。駐機先は、隊員の研修用機材にすることを条件に、鹿児島県の鹿屋航空基地に決まった。
 鹿屋市までの輸送費などとして、インターネット経由で寄付金約2340万円を集めた。昨年7月初旬にエンジンテストも終え、いざ公開飛行を待つだけになった。

 だが国内で零戦の実機飛行は前例がない。関係省庁との交渉は難航した。
 しかも、安全保障関連法案の国会審議が進む中で、戦中を思い起こさせる零戦の飛行に、関係省庁の中には難色を示す担当者もいた。
 安保法成立直後、機体の設計図や復元の課程を示す資料を全てそろえて国土交通省に飛行許可を申請した。実機検査を11月末に終え、12月18日、1カ月以内を目安に飛ばすことを条件に、飛行許可が下りた。基地上空の飛行も今月19日、鹿屋航空基地と調整を終えた。
 石塚氏は「単に零戦が好きだからではない。先人が作り上げ、終戦後、二十数年で世界2位の経済大国にのぼりつめた世界最先端の技術をみてほしい。彼らの努力が、現在の日本の繁栄を築いたことを多くの日本人が気がつくきっかけにしたい」と語った。
 ようやく公開飛行にこぎ着けたが、米国人パイロットと整備チームの滞在費や機体の送料などを考えると、まだ約2千万円が足りないといい、プロジェクトではスポンサーも募っている。問い合わせは同プロジェクトウェブサイト(https://www.zero-sen.jp/)から。

 「零戦」とは?
 三菱重工業が開発し、同社と中島飛行機が計1万機以上、生産した。制式採用された昭和15(1940)年が、皇紀2600年にあたることから、零戦と呼ばれた。旋回など運動能力に優れ、航続距離は最高3千キロと、米グラマン社のF4(ワイルドキャット)の2倍以上あった。
 終戦後、日本ではGHQ(連合国軍総司令部)によって航空機研究が禁じられた。零戦技術者の多くは、ほかの産業に移り、日本の経済復興に尽力した。例えば、零戦の燃料噴射装置を開発した杉原周一氏は東洋陶器(現TOTO)の社長となって、同社の中興の祖と呼ばれる。






零戦が日本本土上空を飛ぶのが、「戦後初」だって?
嘘はイカンな。

産経よ、恥ずかしいぞ。


(追記)
当初「日本の空を零戦が舞うのは戦後初めて」と表記していましたが、確認の結果、戦後の飛行例があることがわかりました。
お詫びして訂正します。

訂正とお詫びが掲載されていた。
最初からきちんと取材して書きたまえ。

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