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2020年01月18日06:15

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ボランティア元年といわれましたが

昨日は阪神大震災から25年。ユーチューブで震災当時の画像を引っ張り出しながら、当時を偲んでいました。
熱心に見たのは震災から一ヶ月後に、テレ朝のニュースステーションが神戸のサンテレビに移動して中継放送を2時間半も行った番組。今では考えられませんが、なかなか画期的な取り組みでした。キャスターの久米さんも小宮さんもお若いこと。伊丹駅からの中継が小谷真生子さんだったのも時代を感じました。
最後にルミナリエで毎年歌われる『しあわせ運べるように』を一緒に口ずさんで終了。充実した一日を過ごしました。

震災当時どこからともなく人が集まり、ボランティアが避難所で活動していました。
メディアでは『ボランティア元年』といわれたものでした。
今のように社会福祉協議会が先頭に立つわけでもなく、ボランティア保険があるわけでもなく、マッチングがあるわけでもありません。
ある人は街角に立って地理に疎い方々に道案内を。
大きなリックに詰め込んだ物資の下に書かれた『必要なものがあれば一声おかけください、お分けします』という文言。
避難所では、あるものはトイレの掃除をし、あるものは老人たちの肩をたたき、あるものは包丁を持つのでした。そして救援物資を積んだトラックが入ってくれば、どこからともなく人が集まり、積み降ろし、配り、また散っていく。
別に誰かが命令するわけでもなく、その場で感じたことをするだけでした。

今ではSNSなどで情報があっという間に広まり、必要なものが割とすぐに手に入り、避難所で水が不足することもままありません。
寒い体育館で薄い布団を引いて寝ることもなくなり、ダンボールベットや間仕切りがつくようになったのはかなりの進歩です。
ボランティア休暇でやってくる若者たちは昔を知らないので今のシステムで十分なのかもしれませんが、長く通っていると少しずつ違和感を感じるようになってきたのも事実です。
活動から『臨機応変』という言葉は消えました。厚真では、避難所を運営する自治体とボランティアセンターを運営する社会福祉協議会との連絡がうまくいかず、1時間半近い待機も経験しました。

近未来に起こるであろう首都直下や東南海地震に備えてできることはままあると思います。たとえばちょっと敷居が高くなってしまったボランティア。どうして地域の社会福祉協議会に出向いてボランティア保険に入らないといけないのか。ネットでさらっと入れたり、3月31日で更新システムではなく10年間の保険があるとかなり便利です。
ボランティアを事前登録制にして連絡網を整備しておくと、いざというときに一番必要なところに集中的に人を集めることができます。警察や消防の手に負えない必要なマンパワーこそボランティアが本領を発揮できる場所だと思います。遠方から来る方への交通費の補助など、いろいろな意味で少し敷居を低くする環境整備が必要かもしれません。
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