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2019年07月17日02:08

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読書感想文

現在はどうなのか知らないけれど、僕が小学生の頃は夏休みの宿題に「読書感想文」というのが必ずあった。
そして僕は、この読書感想文が得意だった。
今となってみれば、得意というには少し語弊があると思うが、学校内レベルで僕の作文は毎年優秀作として選ばれていたので、当時の僕は作文が得意だと思っていた。

読書感想文というのは本来、本を読んでどう思ったのかを素直に書く、というものである。
その上で、着眼点が面白かったり掘り下げ方が興味深かったりすると評価される。
残念ながら僕には面白い所に目をつけたり、興味深い方向へ掘り下げる能力が無かった。
だから、出来るだけ上手く書く、という事を心掛けた。
子供の作文は得てして感想がバラバラになり文脈が繋がりにくい。
僕はテーマを絞り、全てがそのテーマに繋がるように文章を構成した。
構成する上で意外性も必ず組み込んだ。
一見、テーマから逸れるもしくは反する感想を書き、しかし実はテーマに繋がっている、という流れを入れた。
あと、感想には必ず比喩を入れた。
彦摩呂さんが食レポで「○○の玉手箱や〜」とかやられていたが、僕はあれを読書感想文でやっていた。
これだけのテクニックを駆使すると、だいたい学内レベルなら優秀作に選ばれる。
県レベルでは全く通用しなかったが、特に野心も無かったし、学内で選ばれただけで僕は満足していた。
得意だった。

ただ今となってみると、何だか哀れに思える。
詰まるところ、僕は素直に感想なんか書いていなかった。
構成上必要なら思ってもいない事を感想として書いたし、上手い比喩を捻り出すのにウンウン唸ったりして、もはや読んだ本の事なんか全然関係の無い世界だった。
僕がやっていた事は、何でもない当たり前の事を、如何に装飾して、整理整頓してアウトプットするか、という事だった。
そしてそれが評価されて有頂天になる、という。
何とも哀れな子供やの〜と感じざるを得ない。
さらに哀れなのは、そのやり方を自分の人生にも反映させてしまった事である。
読書感想文は僕にとって成功体験として記憶されていた。
だから人生に於いても同じやり方を踏襲しようとしてしまった。
結果、真実の無い、ウワベだけを取り繕う、つまらない人間になってしまった。
大事なのは、勇気を持って、自分の本当の気持ちを表現する事だ。
誰にも見向きもされないかもしれない、馬鹿にされるかもしれない、それでも、自分の正直な気持ちには価値がある。
価値を積み上げる事で人は出来てゆく。
年を重ねる毎にこの差は絶望的に開いてゆく。
今更過ぎ去った歳月は取り戻せないが、せめてこれからは、自分の中のホンモノを積み重ねて行きたい。

一つ積んでは父のため〜、二つ積んでは母のため〜
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