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2020年04月08日16:58

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「みんなのミュシャ」展を見る

札幌芸術の森美術館の「みんなのミュシャ」展に行ってきた。
ほぼ1か月間休館していたものが、4月1日から12日まで再開したものだ。

北海道では新型コロナウイルスが小康状態にあるとはいえ、まだ終息していないので、
入館する日時を1時間単位で指定した前売り券を事前購入しなければ入館できない。
しかも、1時間ごとの販売枚数は150人までという制限がついていた。

いったん入館するといつまでいても良いことになってはいるものの、
入館者数の上限を決めているようで、定められた入場時間であっても、
誰かが退場しないと入館できないシステムになっていた。

というわけで、まず入場にあたり、2mほど合間を空けて行列ができた。
入館時にアルコールで手洗いと機械を額に向けての体温確認、
さらに展示室前でも距離をとった行列を経て、ようやく入場。
おかげで、混雑することなくスムーズに見ることができた。

ミュシャは、1860年現在のチェコ、当時のボヘミア王国で生まれている。
あいさつ代わりに置かれた初期作品からは、敬虔なキリスト教徒だったこと、
資料用に集めたとされるコレクションからは、
日本製七宝花瓶や浮世絵、華やかな中国刺繍などの影響を受けたことが見て取れた。

残念ながら、何枚か並んでいた油彩については申し訳ないが普通で、
むしろ、陰影を線の密度で表現した素描や、
陰影表現には限界があるものの、輪郭線でくっきりと縁取り、
その周囲を独特の装飾模様で埋め尽くしたリトグラフ作品の方が、
画面が引き締まっているように感じた。

そんなこともあってか、挿絵画家として出発したミュシャは、
サラ・ベルナールのポスターで一躍人気作家となる。
その作品づくりのベースとなった写真習作(特に裸婦)を見ていると、
普通の生活ではけっしてそんなポーズをとる人はいないだろうと思われるほど不自然に、
伸びあがったり、のけぞったり、ひねったりしている。

ところが、その人体に衣装を着せ、髪や裾を装飾的に流し、花で彩ると、
自在に動き回る線と、画面を埋め尽くす装飾文様の美しさに圧倒されてしまう。
これが、ミュシャであるらしい。

作家としての成功したミュシャは、
第一次世界大戦後に独立を果たしたチェコスロヴァキアに帰国し、
祖国建設のために協力を惜しまなかったらしいのだが、
1939年ナチスに逮捕されると、健康を悪化させ亡くなってしまう。
そればかりか、一度はミュシャという作家の存在さえ忘れられてしまったらしい。

最終パートは、ミュシャが再評価され始めた1960年代以降の
ポップカルチャーへの影響について示された。

まず、ミュシャが再評価され始めた1960年代後半、
おりからの反戦平和をめざす若者たちがミュシャの美しい世界と共鳴し、
ローリングストーンズ、ダイアナ・ロス、イエス、ピンクフロイドなどのアーチストが、
ミュシャ風のレコードジャケットやコンサートポスターを制作した。

ただ、それらは人物造形がいくぶんアメコミ風で、
当たり前の話しだが本物のミュシャとはずいぶん違っていて、悪く言えばガサツだった。

続いて、天野喜孝、出渕裕の作品とともに、日本の少女漫画への影響が示される。
トキワ荘の一員にして24年組の地ならしをした水野英子の「トリスタンとイゾルデ」は、
向き合う男女のマントが大きく流れ、背景には円環のように木の枝が伸びている。
24年組の主要メンバーの一人・山岸涼子の「孔雀に乗った王子・日出処の天子」は、
孔雀上の厩戸皇子の背後に光背の円があり、その外側に孔雀の羽根が作る円が描かれる。

24年組の最初の読者世代にあたる花郁悠紀子の「夢ゆり育て」は、
少女の髪は画面いっぱいに広がり、少女の周囲には百合が咲き乱れている。
一条ゆかりのアシスタントだった松苗あけみの「フラワーマジシャン」は、
ピンクの花のリースに少女マジシャンが座っており、花や動物たちが飛び出している。
花郁悠紀子の妹で最初の同人誌世代の波津彬子の「海神別荘」は、
着物姿で日本髪を長く垂らした少女の周囲をリンドウやサンゴが伸び、竜が舞っている。

なるほど、少女漫画独特の髪や服をなびかせたり、花で彩ったりしながら
美しい画面を構成する技は、ミュシャに通ずる。
水野・山岸の二人は、洋書店でミュシャやミュシャ風のものと出会ったと証言している。
下の世代の三人は、1975年ごろに人から教えられて知ったと証言する。

そういえば、1970年代後半、少女漫画読者の教養をけん引していたような存在だった
新書館の「ペーパームーン」や「グレープフルーツ」で、
しきりに、ビアズリー、クリムト、シーレといった画家たちが取り上げられ、
その中に、ミュシャの名もあったように思う。(記憶が怪しいが。)
24年組の少女漫画家たちが花開いた時代とミュシャが紹介されていた時代は、
偶然なのか、意図的なのか重なっていたように思う。

出口には、ミュシャの「モナコ・モンテカルロ」や「舞踏」の中に入って
写真を撮ることができるコーナーがあった。
しかも、人物の部分だけシャドーボックスの要領で前に張り出しているため、
自分がサラ・ベルナールと絡んだ写真が撮れるというスグレものだ。

というわけで、あとはミュージアム・ショップということなのだが、
常設展示室がミュシャグッズ専用のショップになっていた。
しかも、1グループ1名しか入れず、入場人数を制限した上で、
改めてアルコール消毒させる徹底ぶりだ。

こんなご時世だからこそ、開館に踏み切るにはこれだけの手続きが必要なのだろう。
丁寧に対応していただいた美術館、お世話をされていた職員の皆さんに感謝だ。
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