今回は、「東京オリンピック噺」としては完全に番外編です。
そのため、ドラマ内時間の「現在」である五りんの世界に寄席シーンは登場せず、
ずっと志ん生の病室で展開します。
そして、ドラマ内回想の時代は昭和20年、志ん生は満州への慰問旅行に出発します。
それにしても、長男が志ん生に入門したという話題が出てくるようになると、
これは後の馬生だな、じゃあ小さい方が志ん朝か、後ろが小泉今日子と坂井真紀かと、
(たった)16年後のことを思いながら見てしまいます。
さて、志ん生が訪れた満州国は、ほんの数か月後には敗戦を迎えるというのに、
日本人が相変わらずわがもの顔で暮らし、中国人がへつらっているような状態でした。
しかし、実は沖縄が陥落寸前という戦況は、旅人である圓生にまで聞こえています。
そこにやってきたのが、小松勝です。
志ん生が小松勝に命を救われたいきさつも、
志ん生の「富久」が芝まで伸ばして演じられる理由も、
小松勝が「志ん生の絶品」と書いたハガキを残して亡くなった事情も、
見ている側の「たぶん、こうなるんだろう」という予測を軽々と超えていきました。
「走っとるか、笑っとるか、飯食っとるかだけんね」
四三をそう評する小松勝ですが、それは幼い五りんにも似ているようであり、
なにより小松勝自身のことでもありました。
それゆえ、中国人を助け、絵葉書も買ったやさしさで一度は助かった命なのに、
その絵葉書に「志ん生の富久は絶品」と添えて投函しようとしていただけなのに、
ソ連兵も抵抗さえしなければ放免になったかもしれないのに、
「日本人が中国でさんざっぱらやってきたこと」を見聞きしていたこともあってか、
小松勝には「走る」ことしか選択肢がなかったのでした。
ただ、先週、自転車節をあんなに連発しなければ、
酔った小松勝の自転車節がもっとせつなく、印象深いものになったようにも思います。
そして、りくちゃんは、関東大震災で母・シマちゃんを失くし、
戦争で夫・小松勝を失くしました。
きっと、似たような境遇の人はたくさんいたはずです。
震災の時には母の土産だった「でんでん太鼓」さえ見つけられなかったことを思えば、
夫の最期の瞬間までともにあった絵葉書と擦り切れた金栗足袋を受け取れたのは、
まだ幸せだったと言ってもよいのでしょうか。
走る小松勝にかぶせるように演じられた「志ん生の富久」は、まさに絶品。
そんな因縁をこめて、志ん生が復帰の高座で語ったのも「富久」でした。
小松勝は、しきりに浅草から芝まで走り続けた四三のことを力説していましたが、
若き日の孝蔵も浅草から芝まで車を引き、足で落語を覚えていました。
「芝」の一言が出る寸前で切った演出がカッコ良すぎです。
というわけで、今回の秀逸は、
キョトン目をした七之助の愛くるしさに現れた父・勘三郎のDNAの濃さでも、
もはや落語シーンの上手さすら意識させなくなった森山未來の安定感でも、
孝蔵に浅草を思い出させるという大事な役目があったとはいえ、
自分の駆け落ちの身代わりでヤクザに狙われていた孝蔵にわざわざ声をかけた
中国人コスプレの美川のどうしようもない破壊力でもありません。
今回は、あえてこの人。
「あまちゃん」ではカメラ小僧を演じた大人計画からの最後の刺客・村杉蝉之介の
脱走を示唆するばかりか、自ら軍服を脱ぎ捨て走りだした分隊長役での怪演ぶり。
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