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2019年04月21日10:59

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昨日のブラタモリ

日本人の信仰の本来の姿がよくわかった回でした。

本来の神道は、山や滝や川や巨石といった人々を畏怖させるような自然を
土地の神として信仰するものでした。
修験道は、この古い神道と山岳宗教が習合したもので、
山伏(修験者)は山中で修業し続けることで迷いを祓い、山の霊力を自分ものとしていました。

神道と仏教が分離した現在の視点で見ると熊野信仰は奇妙な姿に見えますが、
明治期に政治的に分離される前の日本人の信仰は、基本的に神仏習合でありました。
(八坂神社=祇園社の回でも同じような説明がありました。)
なにせ天皇が出家し、熊野に生涯30回も参詣していたような時代ですから。

それにしても、熊野に詣でるのに一カ月以上かかるということを踏まえると、
生涯30回前後も熊野に参詣した上皇たちは、30年もしくはそれ以上の期間、
一年のうちの相当な時間を、熊野に詣でることだけに費やしたことになります。
その信仰の強さにも驚かされます。

また、調べると、修験者は自らのために修業するとともに、
その霊力を人々に授けるという役割も担っていたようなので、
(熊野三山の成立や古道の整備も、その一環だったのかもしれません。)
そうした信仰をこじらせた人が人々を先導する目的で、渡海してしまったのかもしれません。

余談ですが、渡海したものの琉球に漂着した僧もいて、
その僧が熊野信仰を布教したため、今も沖縄県には熊野系の神社が多いそうです。
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