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2022年05月01日08:45

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2020年公開洋画作品ベストテン級「エジソンズ・ゲーム」に出遭い、4月が終わる。

 2020年公開洋画作品でベストテン級の作品と出遭った。「エジソンズ・ゲーム」である。

 独自性・独創性に徹低的にこだわり、人を殺す発明だけは絶対に手を染めないエジソンを主人公に、他人の発明も貪欲に取り入れ組織力に頼るウエスティングハウスと対比して描いた一篇だ。

 でも、ベネディクト・カンバーバッチがエジソンを演じているからといって、単純にエジソンをヒーロー視していないのが良い。何たってウエスティングハウスを演じているのもマイケル・シャノンである。

 エアブレーキ開発で財をなしたウエスティングハウスの感覚はやや古い。エネルギーの中心は蒸気機関であると思い天然ガスにリーチを伸ばさんとするが、遅まきながらこれからのエネルギーは電気であることに気付く。

 こうなると、ウエスティングハウスの動きは早い。エジソンに対抗して電力網の拡大に邁進する。この頃の電気使用の用途メインは照明であるから、電球発明者のエジソンは面白くないが、他人の発明も躊躇なく取り込むウエスティングハウスは意に介さない。かくて両者の電力網拡大戦争が勃発する。

 直流送電を推すエジソンと、交流送電を推進するウエスティングハウス。変圧という手段を有する交流の方が、供給網拡大で圧倒的な優位に立つのは必然だ。こういう交直戦争をスリリングなエンタテインメントにしてしまうアメリカ映画には、さすがと舌を巻かざるをえない。

 交流送電網の構築には、高圧が必要になることから、人体を死に至らしめる危険性にエジソンは気付き、ネガティブキャンペーンで反撃に出る。高圧の交流で馬などの動物を殺すデモンストレーションを各地で繰り返していくのだ。

 ところが、事態はとんでもない方向に転がる。馬が苦しまずに瞬時に息絶えるのを見て、当時は残酷だと言われていた絞首刑に変わるものとして、死刑執行の器具としての電気椅子開発への要望が高まる。人を殺さない発明にこだわるエジソンの偏執的志向は、全く逆方向へ転がるのである。

 技術というものは、常に正邪のどちらの方向にも転がるというパラドックスを有していることの興味深い現実。さらに、映画ではそこまでの未来には触れていないが、電力系統網の巨大化へと進み、当初ウエスティングハウスが眼をつけていた天然ガスが、今やロシアが戦略物室として輸出制限に至っている大容量発電機の貴重な燃料に至っているのだ。

 かくして私の一生に鑑みてこの映画は極めて興味深いものになった。私の会社生活は、首都圏電力安定供給の端くれに携わった半世紀余であった。私にとって、それだけは「絶対の正義」だと信じていた。

 そんな私の価値観を直撃したのが、東日本大震災の福島事故だった。無限に電力を食らい尽くす高度経済成長下の首都圏に、何が何でも電力安定供給を継続することが、「絶対の正義」だと信じ、乏しい日本の水力を開発し尽くせば、石油に依存した火力へ、中東戦争で石油供給が不安定になれば原子力・天然ガスへと、脇目もふらず走り続けたのだ。

 福島事故は、求める電力を求められたままに供給することが、「絶対の正義」でも何でもないことを顕在化してしまった。電力供給そのものがどうあるべきかの哲学を基に、供給制限も視野に入れて、エネルギー問題を考えるべきなのだった。技術に正も邪も無いとの「エジソンズ・ゲーム」のテーマは、私にとって目から鱗であった。

 技術というものは、妄執に近い一人の天才のエジソンではなく、組織力のウエスティングハウスだとの映画の指摘も、私には共感できた。首都圏電力安定供給の「端くれ」に携わった半世紀余と前に記したが、間違いなく「端くれ」というか「歯車」の存在だった。

 ただ、私はこの「歯車」人生に虚しさを感じてはいない。多くの人に恩恵をもたらすビッグプロジェクトとは、無限の歯車の組み合わせによる大組織にして、初めて実現できるものなのだ。その一歯車として生きてきた私であるが、とにもかくにも満足はしている。

 技術というものに永遠性も無い。「エジソンズ・ゲーム」では、特に天然ガスの未来にまでは触れていないが、ここでは技術に永遠性なども存在しないことが、さりげなく示されている。思えば、私は首都圏電力安定供給の歯車の一部の指令所自動化システム構築に、さらにそのまた歯車の一部として関わっってきた。そんな中で、自分の構築したシステムが古くなり役割を終えて除却されていく場に、何度立ち会ってきたことだろう。

「自分は歯車にならない」「時間を越えて生き残る物にこそ価値がある」として、歯車や一時の物として消えていく事に対して全否定する人が、特にクリエイター関係の人に多い。しかし。私は歯車として生きることも、その結果が時と共に消え去ることにも、十分な価値を感じる。いや、それが人生というものの、ほとんど一般な姿ではないだろうか。

 以上、「エジソンズ・ゲーム」は、様々な事に想いを馳せさせてくれる映画だった。さて、では2020年洋画ベストテンのどこに位置付けるか?改めてベストテンを見返してみると、これが難問となった。

 私のベストテンには、フランス・イギリス、もちろんハリウッド映画もあり、スゥエーデンや中国・韓流もある。SFX大作やミユージカル等々と多彩で、それらのどれと差し替えるかは困難を極める。

 そういえば2020年の私の邦画ベストワンは、技術文明について「エジソンズ・ゲーム」と類似の想いに至らせてくれた「Fukushima50」だった。とすれば、こちらに代表させて洋画ベストテンは変動なしとしよう。てなことで私の2020年ベストテン遊びは、これにて幕を引きます。

 前回日記以降4月末までの自宅観賞映画は次の6本。

「エジソンズ・ゲーム」「ポップスター」「スキップ・トレース」「愛の昼下がり」
「ドリヴン」
「映画 きかんしゃトーマス チャオ!とんてうたってディスカバリー!! 」

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