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2019年12月09日18:43

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もじたま日記・2822日目・誕生日オメデトウ(^▽^)ゴザイマース!!

 2822日目
 幾松・斗(ます)・計(かず)・翠香院(スイコウイン)
 ↓↑
 誕生日オメデトウ(^▽^)ゴザイマース!!
フォト

 猫城(ねこじょう)
 福岡県中間市に存在した城
 遠賀郡上底井村(月瀬神社)
 遠賀川左岸の平野部の小高い丘にある
 室町時代に麻生氏によって築城
 戦国時代に宗像氏領
 名前の由来
 「敵が攻めてくるときは山が高くなり
  城から攻め下りるときは山が低く感じる
  猫が
  背を高くしたり低くし
    低くしたりしているよう」
 なことから名付けられた・・・
 宗像氏貞は
 家臣の
 吉田倫行に
 雑兵150名をつけ猫城に配属
 天正八年(1580年)五月
 大友宗麟の家臣
 立花城の
 立花道雪の指令を受けた
 鷹取城主
 毛利鎮実
 が攻め込む
 宗像勢はこれを討ち破った
 宗像氏断絶後、廃城
 江戸時代
 福岡藩の所領
 2代藩主
 黒田忠之により
 猫城跡に
 月瀬八幡宮
 建立
 (by Wikipedia)
 ↓↑
 ネコ城
 (ドイツ語 Burg Katz・ブルク・カッツ)
 ドイツ連邦ラインラント
 プファルツ州
 ザンクト・ゴアールスハウゼン
 の
 ライン川上流沿いにある城
 ↓↑
 カッツェンエルンボーゲン伯爵
 ヴィルヘルム2世(Count Wilhelm II)
 1360年〜1371年ごろ建設
 1356年に建設していた
 トリーア大司教
 の
 マウス城
 (正式な名称は
  トゥルンブルク城
  猫に睨まれていることから)
 に対抗するために建設
 反対側に
 ラインフェルス城があり
 ともに川の通行料を取っていた
 ↓↑
 1692年
 ルイ14世の征服
 ラインフェルス城の包囲中に城が破壊
 七年戦争で
 1758年
 フランス人に征服
 1763年に戻った
 1806年
 ナポレオン・ボナパルト
 に主塔が破壊
 ↓↑
 タコ踊り・タコ舞踏・タコdance・・・多古箪笥?
 ↓↑
 蛸・凧・胼胝=たこ=多古・田子・多胡・章魚・章魚
 ↓↑
 Octopus=8本足=デビルフィッシュ=Devilfish
      蛸(たこ、タコ)
  英語  オクトパス octopus
  英語  オックタパス octopus
  独語  オクトポーデ Oktopode
  独語  ポリュープ Polyp
  独語  クラーケ Krake
  蘭語  オクトプス oktopus
  仏語  プルプ poulpe
  伊語  ポルポ polpo
  西語  プルポ pulpo
  葡語  ポゥヴォ polvo
  羅語  ポーリュプス polypus
  羅語  ポリプス polypus
  希語  ポリュプース
  希語  フタポズィ χταπόδι
  露語  アスィミノーク осьминог
  露語  アシミノーク осьминог
  中語  ザンユ   章鱼
  中語  チャンユィ 章鱼
  韓語  ムンオ
  捷克語 ホボトニツェ chobotnice
  アラブ語 オクトボート
  アラブ語 サルタウーン
  スワヒリ語 プウェザ pweza
 ↓↑
 カイト=Kite・・・凧・・・長い二本足・・・?
 ↓↑  古語、地方名で
     紙鳶(しえん)、ハタ、いか( イカ)
     ↓↑
     中国大陸
    「黒鍋底(ヘイクオテエ)」
     燕(つばめ)凧の原型
     もとは墨一色で
     兵士が描かれていた・・・
     ↓↑
     八日市大凧
     江戸時代中期から始まった
     1882年
     240畳の大凧が揚げられた
     ↓↑
     大凧に乗って
     名古屋城の金鯱を盗もうとした
     江戸時代に実在した
     柿木金助という盗賊
     柿木 金助
     ?〜宝暦十三年八月二十一日
       (1763年9月28日)
     尾張国
     中島郡
     柿木島村(愛知県稲沢市)
     生まれの百姓
     正徳二年(1712)
     大凧にからだを結びつけ
     名古屋城天守閣に登り
     金の鯱(しゃちほこ)の
     鱗(うろこ)を盗んだ・・・
     ↓↑
     1752年
     楽器の発明で有名な
     ベンジャミン・フランクリンは
     雷雨の中で凧を揚げ
 ↓↑  雷が電気であることを証明
フォト

 ↓↑
 海人(カイト・あま)=かいと=甲斐人=カイト=蝦夷人
 ↓↑
 エイト(eight) 英語
 アハ卜(acht) 独語
 ユイット
 ユイ
 ユイットゥ(huit) 仏語
 オチヨ(ocho) 西語
 オット(otto) 伊語
 オクトー(οκτώ) 希語
 ↓↑
 エイトマン・・・ 頴娃人?
 八人
 ↓↑
フォト

 1600年3月
 薩摩直轄領の
 頴娃(エイ)は
 伊集院忠真(元々は都城の豪族)
 にあてがわれ
 猫城・・・「猫の城」の名前由来は?
 などが築城(改築)される
 猫城跡は
 太平洋戦争中
 アメリカ軍の上陸へ備え
 陸軍により要塞化
 知覧の特攻基地と
 東シナ海の間にあり重要な拠点
 ↓↑
 頴・・・・英才の旧字は穎才・飛び抜けるの意味
 娃・・・・(あい)目のまるい美しい人・美しいの意
 ↓↑
 頴=匕+示+頁=穎=匕+禾+頁
   エイ
   すぐれる
   ほさき
   ほ・ほさき
   稲や麦の穂先・穀物の穂先
   穂先のように先端のとがったもの
   才能がすぐれる・すぐれている
   さとい
 ↓↑
 娃=女+圭=女+土(十一)+土(十一)
   ア・・・蛙・雅・鴉・丫・阿・亜
   アイ
   うつくしい
   顔立ちがうつくしい
   美女・うつくしい女性
 ↓↑ 
 娃(女圭)≠桂(木圭)
       圭=化意
        =佳・珪・奎・鮭・渓
         景(行)・軽(珂瑠)
         鶏(阿輩雞彌)
        「俀王
         姓
         阿毎
         字
         多利思北孤
         號
         阿輩雞彌」
      ⇔「桂小五郎=木戸孝允」の妻女
 ↓↑
 木戸 松子(きど まつこ)
 天保十四年十月一日(1843年11月22日)
 〜
 明治十九年(1886年)4 月10日)
        大運1879年1月(35歳)〜1889年
                 丁 卯┓正官
 癸卯 甲 乙 傷官・正財 胎⇔丙┏戌┛合丁
 癸亥 戊甲壬 傷官・食神 病⇔壬┗辰 害
 庚子┓壬 癸    ・傷官 死⇔庚┏子
 壬午┛丙 丁 食神・印綬沐浴⇔壬┗午
  辰巳空亡
ーー↓↑ーー
 木戸孝允
 天保四年六月二十六日(1833年8月11日)
 〜
 明治十年(1877年)5 月26日)
        大運1874年9月(41歳)〜1884年
                 乙 卯┓比肩
 癸巳┓戊庚丙 偏印・正財沐浴⇔丁 丑
┏庚申┛戊壬庚 正官・正財 胎⇔乙┏巳
┗乙丑 癸辛己   ・偏印 衰⇔己┗亥┛三合乙
 壬午 丙 丁 印綬・傷官長生⇔庚 午
  戌亥空亡
 ↓↑
 干合化金格?
 月日干、干合庚辛⇒年月支、支合庚

 癸巳┓戊庚丙 食神・印綬  ⇔丁 丑
┏庚申┛戊壬庚 劫財・劫財  ⇔乙┏巳
┗辛丑 癸辛己   ・食神  ⇔己┗亥┛三合乙
 壬午 丙 丁 印綬・傷官  ⇔庚 午
ーー↓↑ーー
 ↓↑
 木戸 松子(きど まつこ)
 京都三本木(京都市上京区三本木通)の
 芸妓
 幾松(いくまつ)
 幼少名は斗(ます)、計(かず)
 号は翠香院(スイコウイン)
       ・・・「推考・水行・推敲」韻
 父は若狭小浜藩士
   木崎(生咲)市兵衛(きざき いちべえ)
 母は三方郡神子浦の医師
   細川益庵(太仲)
  (ほそかわ えきあん)の娘
   末子(すみ)
 ↓↑
 父は若狭小浜藩士
 木崎(生咲)市兵衛
 右筆(ユウヒツ
 中世・近世の武家の秘書役、文官
 文章の代筆が本来の職務
 公文書や記録の作成など
 事務官僚としての役目を担う
 執筆(シュヒツ)とも
 ↓↑
 若狭小浜藩主
 酒井忠義に仕える
 元来、弓師
 浅沼忠左衛門の次男
 木崎家の養子となった
 町奉行の祐筆であったが
 藩内の事件から罪を引き閉門
 後
 妻子を残し京都へ出奔
 妻の
 末子は子供を連れ実家の
 細川家に戻って
 神子浦で過ごす
 ↓↑
 嘉永四年(1851年)
 木崎(生咲)市兵衛
 他界
 その後
 末子は
 京都
 御幸町
 松原下るの
 提灯屋に嫁いだ
 ↓↑
 幾松の在籍した置屋
 「瀧中」といい
 維新後に
 木戸所有となった
 土手町
 留守居役の
 木崎家は
 月々木戸より送金される6両
 三本木からの家賃収入でやりくり
 幾松の養父であった
 難波常二郎は
 三本木別邸「瀧中」に住み
 木屋町別邸のやりくりを任され
 その他京都での
 木戸の周りの様々な雑用
 ↓↑
 幕末
 「瀧中」には幾松の妹芸妓
 「玉松」と見習いの
 「おもく」がいたが
 それぞれに維新後
 河瀬秀治・佐畑信之と結婚
 仲人は孝允
 ↓↑
 幾松と桂小五郎との出会い
 幾松を山科の豪家が大贔屓
 桂がこれに張り合い
 伊藤博文
 が刀で脅し
 幾松は桂のものになった・・・?
 『松菊木戸公逸話(児玉愛二郎)』
 ↓↑
 元治元年(1864年)六月
 池田屋事件
 禁門の変
 長州藩は朝敵
 桂は幕府の「おたずね者」
 二条大橋周辺に
 乞食姿で隠れ潜んでいた桂に
 幾松はよく握り飯を持っていった・・・
 新撰組局長
 近藤勇に連行され
 桂の居場所を訊かれたこともあった
 ↓↑
 元治元年(1864年)八月
 〜
 慶応元年(1865年)四月
 にかけ、商人
 廣戸家の援助を受け
 出石に潜伏
 名前を
 廣江孝助と変名
 荒物屋主人
 寺男
 転々と名所を変えながら潜伏
 幾松が
 ある会津人に侵されかけ
 三味線を折って投げつけ
 対馬藩邸に助けを求めた
 伊藤博文の直話・・・
 幾松は
 長府藩士
 奥善五六郎
 と
 京師東山の割烹店の主
 曙久斎
 の三名で
 対馬藩濱屋敷に匿われ
 対馬藩士
 多田荘蔵が
 大坂より馬関へと逃した
 ↓↑
 幾松はその後
 出石潜伏中の桂を迎えに行った
 慶応元年二月初め
 廣戸甚助が馬関にやってき
 桂が
 出石に潜伏と報告
 幾松は
 村田蔵六から
 桂宛の手紙と五十両を預かり
 2月7日
 甚助を案内に出石へと向かった
 途中
 大阪で
 甚助が博打で五十両を使い果たし姿を消した
 幾松は一人で
 出石まで迎えに行く
 3月3日
 出石に着き
 桂と再会
 城崎温泉に行った
 ↓↑
 出石から
 桂は
 幾松・甚助・その弟の直蔵
 を伴い
 馬関へ帰国
 途中神戸・金毘羅山
 などに立ち寄る
 ↓↑
 慶応元年〜慶応二年初め
 糸米で桂と暮らし始めた・・・
 ↓↑
 明治元年(1868年)八月
 木戸の実家のある萩を訪れ
 妹・治子や親戚に挨拶
 養子の
 正二郎と共に京都に上京
 ↓↑
 幾松は長州藩士
 岡部富太郎
 の養女となり
 木戸と婚姻
 「木戸松子」と名乗る
 ↓↑
 明治二年(1869年)六月から
 東京で生活
 明治二年
 箱根で夫婦で療養
 ↓↑
 明治九年(1876年)
 箱根で夫婦は
 皇后・美子にも謁見
 ↓↑
 明治七年(1875年)
 桂は
 台湾出兵問題で
 山口に下野し
 一緒に帰った
 ↓↑
 明治十年(1877年)5月
 木戸は京都出張中病に倒れ
 5月6日
 木戸危篤の報を聞き
 松子は東京を出発
 馬車を乗り継ぎ
 10日には京都へ到着
 5月26日
 木戸は
 原因不明の
 脳病の発作
 及び
 胃病のため病死・・・
 松子は薙髪し
 「翠香院」と号し
 京都
 木屋町へ転居
 ↓↑
 佳字(けいじ)=嘉字
 漢字の
 字面が良くない場合
 同じ読みで
 字面の良い漢字をあてる
 「嘉字」とも
 ↓↑
 佳字・佳名
 和銅六年(713年)
 元明天皇
 諸国の国名に
 佳名を使うよう詔令
 ↓↑
 「牟邪志」⇔むさし⇔「武蔵」
  无邪志 國  造(先代旧事本紀・古事記)
 (むざしのくにのみやつこ)
  无邪志国造
  武 刺國造(先代旧事本紀)
 (むさしのくにのみやつこ)
  武刺  国  造
  牟邪志 國  造(先代旧事本紀)
 (むざしのくにのみやつこ)
  牟邪志 国  造
  武藏  國  造(日本書紀)
 (むさしのくにのみやつこ)
ーーーーー
 武蔵町(むさしまち)・・・无邪志
 北緯33度29分
 大分県
 東国
 東郡にあった町
 2006年3月31日
 他の東国東郡各町(姫島村は除く)と合併
 国東市となり消滅
 ・・・???・・・
 大分県東国東郡武蔵町⇒現・国東市
 埼玉県入間郡武蔵町 ⇒現・入間市
 大字
 奈良県天理市武蔵町
 ・・・???・・・
 ↓↑
 無邪志国造
 无邪志国造
 无謝志国造
 ↓↑
 牟耶志国造
 ↓↑
 无邪志国造
 条の次に
 胸刺国造条
 ↓↑
 无邪志国造の支配領域
 无邪志国
 无邪志国=令制国の武蔵国
 秩父(知々夫国造の支配する知々夫)
 を除いた範囲をさす・・・
 埼玉県と東京都の境界周辺
 荒川流域にある
 北足立郡・入間郡・旧大宮市
 ↓↑
 当初
 武蔵国は東山道に所属
 771年
 東海道に移管
 ↓↑
 「姓」
 古代の豪族が氏の下につけた称号
 ↓↑
 古代日本における氏族の称号
 臣 (おみ)
 連 (むらじ)
 君 (きみ)
 首 (おびと)
 など三十種近く
 ↓↑
 臣=畿内の有力な豪族を中心に与えられた
 連=大王に直属する有力な
   伴造(とものみやつこ)を中心に与えられた
 ↓↑
 大和王権の官職
 造(みやつこ)=皇室部民の伴造氏族
        手工業関係の伴造氏族
        秦造(はたのみやつこ)
        渡来系氏族に与えられた
 直(あたい)=国造(くにのみやつこ)に与えられ
       渡来系氏族
       倭漢直(やまとのあやのあたい)
       に与えられた
       有力な豪族
       上毛野君(かみつけぬのきみ)
           (上野(こうずけ)国)
       肥君(ひのきみ)(肥後国)
       君という姓を与えられている
 村主(すぐり)
 勝(すぐり)
 吉志(きし)
 朝鮮との関係の深い姓は
 多く渡来系氏族に与えられた
 官職関係の姓としては
 首(おびと)
 稲置(いなぎ)
 阿比古(あびこ)
 国造
 県主(あがたぬし)
 画師(えし)
 薬師(くすし)
 史(ふひと)
 日佐(おさ)
 神主(かんぬし)
 視(はふり)
ーーーーー
 ・・・???・・・
 佳字(けいじ)=嘉字・・・
 木戸・曙・幾松・松子・・・
 孝允・・・桂小五郎=蛙字・・・
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