ステレオタイプでもおれはかまわないと思う。
薬物依存患者が、それを理由に殺人を犯してしまうかもしれないということと
その事件の背景などに踏み込んで外部から勘案することとは違う。
薬物依存患者を出さない、薬物に近寄らせないということが予防の観点から
大事なのであって、すでに薬物中毒になってしまった人に対する対応とはまた違う。
なんていうか、医者として精神科医というのは、そもそも成り立ってはいけないこと
だと思う。
医者というのは、「やまいを治す為の手伝いをするだけ」であるが
薬物依存患者の口から、この医者の言葉が出てくるのなら理解するが
代弁者を気取っているような「医者」の発言では《露骨なヘイト表現》がどうして
おきたのか、説明ができまいて。
その露骨なヘイト表現は、あたりまえ。
忌避感がそれにいたるものとの差を浮かび上がらせる。
薬物中毒ではないものの、精神疾患そのものによってのヘイト表現ならそれは批判すべきだろう。
だが、薬物中毒に対する忌避観は当たり前のことだ。
現実にねざした表現でノンフィクションがいいのならあれだが相棒は「フィクションです」と断ってあると思うのだがw
むしろ、薬物中毒患者を増やさないためには「忌避感」が大事だと思うけどな。
中毒患者が治療が必要なのは、それはなにかい?
誰のために必要なことなのか、理解しているのかな?
絶好調の『相棒』に暗雲?「シャブ山シャブ子」めぐり大論争
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=145&from=diary&id=5372499
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