mixiユーザー(id:3672419)

2019年07月02日18:11

31 view

萩原健一から。ネットサーフィン。メモ。?

萩原健一(ことに出演映画)ついて知りたくて、ググってから、そこからあちこちみてまわっていた。
斎藤耕一神代辰巳長谷川和彦今村昌平相米慎二ディレクターズカンパニー佐々木史朗ATG多賀ようすけ葛井欣士郎
伊地知啓山本又一郎多賀英典キティフィルム村上龍
黒澤満セントラルフィルム松田優作、等々。

いろぉ〜〜〜んなことが書いてある。
もはや大概のことはネット(検索)で判ってしまう(or解ったつもりになってしまう)。

『青春の蹉跌』の監督に神代辰巳を推したのは萩原健一だったとか、『青春の蹉跌』の脚本が長谷川和彦で、ついで『アフリカの光』に長谷川和彦は助監督(脚本は中嶋丈博)、
長谷川和彦がどうして30年以上も映画を撮れないでいるのかといったこととか、
長谷川和彦の監督デビュー作『青春の殺人者』のスタッフに錚々たるメンバーがいた。と今回初めて知った。
助監督は4人(その中に石山昭信と相米慎二)で、製作担当に浅尾政行、制作進行に榎戸耕史と平山秀幸。殆どみんな20歳代!だった。原田美枝子は17歳。
二作め『太陽を盗んだ男』
製作山本又一郎、プロデューサー伊地智啓、原案脚本レナードシュレイダー、音楽プロデューサー多賀英典、助監督相米慎二。
山本又一郎は初め出演に萩原健一を考えていたそうだ。
それから、長谷川和彦はディレクターズカンパニーを、相米慎二と根岸吉太郎ら9人で設立して(1982年6月設立〜1992年5月倒産)、映画製作(&配給)に乗り出した、のだけれど、このディレカンもなかなかのものだった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%8B%E3%83%BC
相米慎二の『台風クラブ』(’85)はここで製作された。ディレカンが募集した脚本だった。(ディレカンは脚本家や助監督を育成しようとした)
そうそう、池田敏春の『人魚伝説』(’84)を記しておかなくては。これがディレカンの劇場公開映画第一作だった。この年にもう一本、石井そうご(現在は岳龍)の『逆噴射家族』。
1985年に『台風クラブ』と、黒沢清の『ドレミファ娘の血はさわぐ』
1986年に、根岸吉太郎の『ウホッホ探検隊』と、井筒和幸『犬死にせしもの』と高橋伴明『DOOR』、以下略。
こうして、(一番撮りたかったはずの)長谷川和彦は一本も映画を撮らずしまいに終わった。
後一人、大森一樹がいたのだけれど、ディレカンのWikipediaに記述はなかった・・??

と。
長谷川和彦だけでもいろぉ〜〜んなことあるのに、ディレカンの記述が長くなってしまった。
ネットサーフィンいろぉ〜〜んなこと書いてあった、そんなところの色々をメモ的に書いておこうと思った、のだけれど。(^^ゞ
4 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する