mixiユーザー(id:366862)

2020年03月25日15:48

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観劇・「キラメク!」

今週はセッションはおやすみ。
そん代わりといいますか
父が演出したお芝居を、観客として見てまいりました。

まず、ちょっとご時世がご時世で
客席にお客長時間集めて観劇、というのが許されるように
衛星・防疫環境をどう徹底するかなんてのは
当たり前ながらも徹底しなくちゃいけなかったところで、
この点はご苦労の上しっかりできていて、
そのかいあってか最後まで異常は発生しないで済んで何より(2週間たたないとわかんないのかもしれませんが)。


今回のために書き下ろされた脚本ということなのですが、
これが見事。

長谷川時雨という女流作家と、彼女を取り巻いた戦前〜戦中の時代の推移をモデルとした人々・世情を描写しながら、
当時、国家体制を主とした「世の中の風潮」というあまりにも大きな敵に対して
「女性の意見表現」の場を作ろうとした人のもとに、
同じように声を上げることの難しかった(けど声を上げたくてたまらなかった)、
共産主義、共産主義を頼みにするしかなかった労働者階級、表現者とはちょっとちがう女性の社会進出運動への動きと、

単に「女流作家」というものの場所を守るというだけではとても収まらない、
敵も、属性も、運動の方法も「よく似た」人々が幸か不幸か集まって、

国家・大衆の、世の中全体に対する要求が刻々と変わっていく中、
「声を上げられない人々」の行動も思想もまた強烈苛烈になっていくしかない、

彼らを守り、支えるために、単に江戸の「いい女」であり、
運動家としてはせいぜい女性運動の嚆矢に過ぎなかった主人公が、
「主張したい」のではなく「守りたい」を実現するために、
戦うというよりは、近代日本市の中でも指折りにきつい板挟みのなかで苦しむ

というのを、彼女の周りに集まった、のちに一流と呼ばれることになる女流作家の弟子たちが、どのように彼女とともにあり、また離れていったか、
何を実現できたか、できなかったか


というようなことを描くのです。


これ、まずできるメンツ集めるのが大変というか、
この脚本を舞台にできるチャンスそのものが大変限られている気がする。

その時の世相のうち、「ここにスポットを当てる」というだけでお話2、3本できちゃう(例えば故・井上ひさしさんは、このうちのお弟子さん作家の人生で一本丸々書いてらっしゃいますし)ぐらい濃い立場、側面が、3つも4つも顔を出して、
そこの代表と思える各者がそれぞれの背景を背負って意見をぶつけ、時代にほんろうされる、
こうした人々の、情報じゃなく「人生」を全部きちんと、
芝居の稽古をする以前から叩き込むところから必要で、
行ってみれば出演者・スタッフにそのコンセンサスが作れる環境自体、整えるのが大変というか。

これちゃんとやって、「個々人が背負ってる世相」が見えるお芝居にしないと
声高な女の人たちが口げんかしてるだけのお芝居になっちゃうことだってあり得るでしょうから……。


もう、戦中の、各所の主人公格がたくさんクロスオーバーしたような、ある種の豪華さであり、
それを散らかさず、2時間半にまとめ切った、脚本、演技、演出。



これはね、対ウイルスにコストをかけても、作り、上演し、見てもらう必要のあった舞台だったと思います。
これを逃したら次はないべよ……。



手前みそでミクロな話としても、
例えばTRPGで、自分はやりたいけど需要の関係でやるチャンスのないシナリオとか抱えっぱなしで、できる環境が確保できないとかだったりするとね、
ちょっとね、そういうところも感じ入っちゃいますね。

などなど。
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