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2019年11月27日15:11

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片方だけで済んだのはまだ不幸中の幸いか

■走り高跳び練習器具で小6失明 園芸用の棒で教諭が自作
(朝日新聞デジタル - 11月26日 21:25)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5879632

こんな痛ましいことはない。
教師も生徒のためによかれと思い、それでなくとも学校教師の過重労働が叫ばれるなか、寝食惜しんで手作製したのであろう。
両者にとって不幸過ぎて言葉もない。

だが、支柱を両側から生徒が支える構造とは、いったい何なのだろう?
確かに、お手製の学習プリントならいざ知らず、運動器具のような多少なりとも事故の可能性があるものを専ら自作製するというのは、軽率の誹りは免れないかもしれない。その安全性の確認を当該教師に任せきって、学校としてロクな検証もしなかったのなら、学校としての責任はなお重い。
と、まあ、こうした事故が起きたことで初めて言えるセリフではあろうが。

それにしても、視力喪失が片方の眼だけで済んだのは不幸中の幸い。
この若さで両目を失っては不幸過ぎる。
不肖磐音も緑内障末期で半分以上の視野を失っている身。今や至近からの局部的な識別はできても全体の俯瞰が困難な状態。
長い年月を経て少しずつ視覚を失ってゆく病だから、覚悟も固めてゆけるが、ある日突然視覚を奪われては、その絶望感は言語に絶しよう。

眼球構造の損傷によるものなら、いずれ画期的な回復の道も開けよう。
意気阻喪することなく、大きく勇ましく育ってもらいたい。

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