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2020年10月25日09:55

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2020ブギー年 服部良一篇

[あらすじ] 笠置シヅ子さんの「ヘイヘイブギ」を歌ったよ見ろ↓
https://youtu.be/zUX3NpfnE70

ブギウギと言えば、ピアノの左手は八分でベースを弾き、
右手で遊ぶスタイルの、ブルースの流れを汲む音楽だ。
「東京ブギウギ」をはじめ、日本の「ブギ」はスイングはしているけれど、
ブギとは言い切れない気がする。
なぜだ。
服部良一著『ぼくの音楽人生』に、服部がまずブルースを取り込み、
つづいてブギを取り込んだ次第が書かれている。



ダミアの『暗い日曜日』を、淡谷のり子が脇野元春の訳詞で歌うのを本牧のチャブ屋で聴いて、
服部は淡谷のり子に本牧を舞台にしたブルースを歌わせることを思い付き、
詞はかねてより気の合っていた藤浦洸に任せる。
レコード会社のお偉方が「ブルース」に難色を示すのに対し、
服部は一世一代の弁舌を振るって押し切った。

こうしてできた『別れのブルース』は、まず満州で流行した。
以下、『ぼくの音楽人生』から引用する。

長崎、神戸、大阪、横浜と港づたいに東上してきて、東京で爆発したのである。

港々からひろがって、全国をおおっていったわけだが、
どこでも自分の港の歌と思って愛唱しているところが面白い。
また、メリケン波止場というのはどこにでもあるようだ。



その後、戦争が始まり、上海で慰問の演奏を行うこととなる。
服部は、上海交響楽団と李香蘭の組み合わせを提案する。


ぼくは、宿願のシンフォニック・ジャズをこの一流のオーケストラで試してみたい欲求にかられていた。
外地である。しかも外人オーケストラである。
内地でできないことが、日本の占領下とはいいながら、
この進歩的な国際都市では可能な気がする。


この『夜来香幻想曲』で、じつは、ぼくはブギのリズムを使っている。―
練習のとき、李香蘭はしきりに首をかしげ、
「先生、このリズム、なんだか歌いにくいわ。
お尻がむずむずしてきて、じっと立ったままでは歌えません」と言う。
ぼくは、胸中、会心の笑みをもらした。
今は戦争中で、敵国アメリカの新リズムとは言えない。
しかし、いつかは日本でも使える日がくるだろう。
じっと立ってではなく、思いきりステージを踊りまわってブギを歌える日がくるだろう。
そうあって欲しい、と心から念じたものである。

この八拍(エイトビート)の躍動するリズムは、ぼくは昭和17年ごろ、
『ビューグル・コール・ブギウギ』の楽譜を手に入れて知っていた。



戦争が終わり、服部は12月に引き揚げてくる。そして


翌22年2月の日劇は、ぼくの提案による『ジャズ・カルメン』であった。
これは名作オペラのジャズ・ミュージカル化という日本で初めての試みだった。―
カルメン=笠置シヅ子―
この公演は、敗戦で日本人が虚脱した状態に陥っていたなかで大衆音楽の音楽家たちが
文化復興の気勢を示した、という新聞批評が出て、世間から注目された。

新聞といえば、この公演中に「カルメン妊娠す」という記事も出た。―
無事、千秋楽を終えたときはスタッフ、出演者一同、ホッとしたが、
それから間もなく不幸が彼女を襲った。
若き夫、穎右君(吉本えいすけ)がエイ子ちゃんの誕生をみずに
病気で急死してしまったのである。

笠置シヅ子は悲嘆のどん底に突き落とされた。しかし、泣いてばかりはいられない。
愛児のためにも、自分のためにも、芸能界へカムバックしなければならなかった。
「センセ、たのんまっせ」
と言われて、ぼくは彼女のために、その苦境をふっとばす華やかな再起の場を作ろうと決心した。
それは、敗戦の悲嘆に沈むわれわれ日本人の明日への力強い活力につながるかも知れない。
何か明るいものを、心がうきうきするものを、平和への叫び、世界へ響く歌、
派手な踊り、楽しい歌……。
このような動機と発想から『東京ブギウギ』は生まれたのである。


『東京ブギウギ』のレコーディングのときは、にぎやかであった。22年の9月10日である。
コロムビアの吹込所は、そのころ、内幸町の東洋拓殖ビル内にあった。
隣の政友会ビルが進駐軍に接収されていて、下士官クラブになっていた。

レコーディングが始まる時刻になると、どうしたことか、
その米軍クラブから黒人や白人の下士官がぞろぞろスタジオにやってくる。
英語の達者な鈴木勝(作詞者)が宣伝した様子だ。―
「ブギウギを日本人がやるのか、そりゃ面白い」
そんな顔で、缶ビールやコカコーラなどをぶらさげて、スタジオの中まで入ってくる。
とうとう、笠置シヅ子とオーケストラを遠巻きながら取り囲んでしまった。―

何しろ、日本は占領下だ。進駐軍を邪険に追い出すわけにはいかない。
「いいでしょう。かえってムードが盛り上がるかも知れない。
このままやっちゃいましょう」
ぼくは、酒気を帯びたアメリカ兵たちが陽気に見守る中で、レコーディングを断行することにした。―
懸命に静粛を呼びかけていたが、心配は無用だった。
指揮棒がおろされると、ぴたりと私語がやみ、
全員のからだはスイングしているが、セキ一つ出さない。

笠置シヅ子のパンチのある咆哮のような歌唱、ビートのきいたコロムビア・オーケストラ、
それを全身で盛り立てている大勢のG・I、最高のライブ録音のムードだった。

OKのランプがつくと、真っ先に歓声をあげたのは、ぼくたちではなく、G・Iたちであった。
たちまち『東京ブギウギ』の大合唱だ。
ビールやウイスキーや、チョコレートや、そのほか当時の日本人には貴重なものが
どんどんスタジオ内に運びこまれ、期せずして大祝賀会になってしまった。
ぼくは、ビールに舌つづみをうちながら、『東京ブギウギ』がアメリカ人にも通じた
喜びをかみしめていた。


『東京ブギウギ』の成功で、それから数年、ブギウギものが世を賑わせた。
ぼくが作曲したブギと名のつくもののみを、吹き込み順に題名だけをあげると、
『さくらブギウギ』『ヘイヘイブギ』『博多ブギ』『ジャングルブギ』
『ブギウギ音頭』『大阪ブギ』『北海ブギ』『ブギウギ時代』『これがブギウギ』
『三味線ブギウギ』『ホームランブギ』『オリエンタルブギ』『大島ブギ』
『名古屋ブギ』『買物ブギ』『ビックリシャックリブギ』『ジャブジャブブギ』
『銀座ブギ』『道行きブギ』『ジャパニーズブギ』『カミナリブギ』
『恋のブギウギ』『七福神ブギ』『芸者ブギ』など30曲近くを数える。



読んでいて、熱いものがこみ上げてくる。
歌い手の生きざま、時代の力、音楽への探求心、そういったものが一度に迫ってくる。

そんなワタクシも『ヘイヘイブギ』を歌ったよ、って話。見ろ↓
https://youtu.be/zUX3NpfnE70
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