「ヘイヘイブギ」を歌ったよ。見ろ↓
https://youtu.be/zUX3NpfnE70
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2020年をブギーの年にする。
と志したのは1月だったが、それから
母の介護度変更申請、認定調査、要介護2→5に飛び級、
特養の申し込みのためにあちこちで健康診断、申し込み、
見学、面談、入居、そして
飼い犬ジーロくん15歳の看取りと
イベント目白押しだった。
練習もなかなかままならなかったが、やっと落ち着いた。
ほっとしたのも束の間、今度は保護団体から次の犬を一頭引き取ろうというので、
面会、散歩、審査、ハーネス等の購入、ゲートの設置、オンライン自宅訪問、
そして新しい犬を迎えると
緊張の連続だったり。
どうにか録画することができて、2週間前、皮切りに「東京ブギウギ」をアップした。
第二弾は「ヘイヘイブギ」。
笑う門には福来る。ラッキーカムカム。
理屈抜きの直球メッセージが私は大好きだ。
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服部良一作曲で笠置シヅ子さんの歌った「ブギ」を、全部で4曲アップする予定だ。
ブギウギとは、ピアノの左手でランニングベースを倍テンポで弾きつつ
右手でアクセントやメロディを弾くスタイルのことだ。
服部は、そこからエイトビートとスイングの要素を使って
「ブギ」と銘打って曲を作った。
作詞は藤浦洸(ふじうらこう)。
洸の字は本名としては「たけし」と読むらしい。
読めないねえ、たけし。読めないから「こう」という名乗りにしたのかねえ。
作曲者の服部良一とは、他にも
淡谷のり子の歌った『別れのブルース』
霧島昇の『一杯のコーヒーから』などが有り、
後には高峰三枝子や美空ひばりへの作詞が数多く有る。
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私は、「ブルース」という言葉は「別れのブルース」で、
「ブギウギ」という言葉は「東京ブギウギ」で知った。
戦後の日本人の代表みたいなもんだ。
後になって、ブルースとはアフロアメリカンの中で発祥した
音楽の一つのスタイルの名称だと知る。
それは、12小節が一単位で、I-IV-I-I-IV-IV-I-I-V-IV-I-Iという
独特のコード進行を持っている。
そう知ってみると、日本の「ブルース」は全く
ブルース進行に従っていない。
なんのこっちゃ。と思っていた。
「ブギウギ」にしたって同様だ。
左手でストンプする8拍のベースの様子は無いし、
ブルーノートの入った音律でもない。
なぜこれが「ブルース」で、なぜこれが「ブギウギ」なんだ。
というのが、長年の疑問であった。
実は、両方とも服部良一の仕業だったのだ。
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服部良一の著書『ぼくの音楽人生』(1993年 日本文芸社)をめくると、
服部がどのようにブルースやブギウギを取り入れていったかが記述されている。
ブギウギ導入の前にブルース導入の話は欠かせない。
要所々々を引用してみよう。〔須山注〕
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〔コロンビア〕入社の翌年、昭和12年2月8日に吹き込んだ『霧の十字路』(高橋掬太郎詞)が、
ぼくが初めて”日本のブルース”に挑戦した曲であった。
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『霧の十字路』は日本語の歌だが、森山久〔森山良子の父〕のバタ臭い低音が
ブルースの雰囲気を出し、評判はよかった。
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ぼくは、入社後すぐに妙に気が合い、相棒となった詩人の藤浦洸に言った。
「そうだよ、君、ブルースは魂のすすり泣きなんだ。
黒人も白人も、アメリカ人も日本人も区別はないよ。
むしろ、悲しい歌が好きな日本人はブルース的なんじゃないかな。
君はジャズの出身だし、ここでもう一歩つっこんだ日本人のブルースを完成したまえ」
―
「ぼくは本牧でブルースの曲想を得た。
それで、あなたも本牧へ行って、詩をつかんできて欲しいんだ。
二人で本牧ブルースを作ろう。」
―
ぼくは、参考のためと、愛読書の一つ、ウィリアム・C・ハンディのことを書いた
『ブルース』という本を渡した。
W・C・ハンディは、1873年(明治6年)にアラバマ州・フローレンスの
教会牧師の子として誕生した。黒人である。
教会音楽から音楽の世界に深入りし、地元のブラスバンドに入った。―
極貧の南部を流れ歩きながら、ジャズの源泉の大きな一つである
ニグロ・スピリチュアルス(黒人霊歌)を採譜しはじめるのである。
ハンディは、これを音楽的に整理し、さらにオリジナリティーを加えて、
ブルースを完成した。「ブルースの父」と呼ばれている。
―
「できたよ、本牧ブルースが」―
「ブルースの小節の数や長さを、ちゃんと勘定して、作ったからね」
藤浦洸は、小鼻をうごめかせて、原稿用紙をぼくの目の前に置いた。
だが、文字は一行、
窓を開ければ 港が見える
とだけしか書いていない。
ぼくが、けげんな顔を向けると、
「君なら、次をどうする」
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あんまり長々と引用してもいけない。
面白そうと思ったら、ぜひ『ぼくの音楽人生』を読んだらいい。
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―
「やっぱり、そのブルースというのが気に入らんな」
と、営業のおえら方が、むしかえしてきた。
「別れの曲、とか、別れの哀歌、別れ小唄、そんなふうにすべきじゃないのかい」
ここで、ぼくは憤然と立ち上がり、視聴盤を高くかかげて一世一代の弁論を試みた。
「それでは、このレコードが死んでしまいます。
ブルースが、ぼくたちの目的なんです」
ぼくは、ブルースの成り立ちから説きおこし、ブルースの真髄、
アメリカやヨーロッパで大いに流行っている現状などをまくしたてた。
※
みなさんご案内のとおり、淡谷のり子の歌った『別れのブルース』は
大ヒットとなるわけだが、
そこから先は、また明日。
つづく
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