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2019年11月16日08:35

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依存の家庭 父篇

[あらすじ] 母は糖質を求めて、危険でもバス通り向こうのコンビニまで一人で歩く。
パーキンソン病の治療はドーパミンの働きを高めることだが、
その副作用でもあるのだろうか。


亡父の書斎の片付けの速度が落ちた。
というのも、原稿や写真や日記の類の入った棚に差し掛かったからだ。
量も多い。

とにかく日記を書く人だった。
B5サイズの横書きのノートに縦書きで、毎日書く。

山形新幹線だったかが開通した時、亡父は
ただ、乗りに行った。
ただ乗って行って帰って来た。
そして、車内に日記帳を忘れてきた。

その落ち込みようと言ったら、
財布を落としたどころの騒ぎではなかった。
ちょいと遊びに行っただけなのに、大切な物を忘れてきてしまったのだから。
そのノートに綴られた日々が空白の期間になるとでも言うような、
そんな喪失感だったようだ。

それだけのこだわりが有った日記帳である。
捨てにくい。
しかし、こだわっていた人はこの世にもういない。
大事に捨てるしかない。



亡父はヘビースモーカーかつ酒飲みであった。
どちらも小学生の頃からの習慣らしい。
煙草は「子どもの時からの一番の友」と言って憚らなかった。

下肢の閉塞性動脈硬化症になった。
喫煙者が多く罹患する病の代表格である。
ちょっと歩くと脚が痛くて立ち止まる。

ステントを入れたが、医師に「喫煙していればまたなるよ」と言われた。
痛いのがよほどつらかったのか、
ついに煙草をやめた。

2ヶ月しかもたなかった。

数か月後、やはり痛くて歩けないから母に煙草を買いに行かせるというので、
会議になった。
病気なのだ、在宅療養なのだ、ということは同居の者は看護師の役目なのだ、
だから病気に良くない煙草を買いには行けない、と母は話した。

私は、煙草をやめていられたじゃないですか、と話した。
あの2ヶ月はすばらしかった、私は幸せだった、とも言った。

そう言うと、父は非常に驚いた顔をした。
なんと、2ヶ月間煙草をやめていたことを、すっかり忘れていたのだ。



私自身は、煙草は29歳の時にやめた。
酒は今はほぼ毎晩飲んでいる。これが一番やめにくくなっている。
以前、一ヶ月酒を休んだことが有る。
こういう人は「いつでもやめられる」とうそぶいたりする。その手合いである。
糖類はほとんどやめたが、今は貰い物のオヤツや外食などでは食べる。
料理に砂糖を使わなくなった。
砂糖やジュースを買わなくなった。



数ヶ月前だったか、
今まで敬遠してきたことや、興味の無かったことや、
くだらないと思っていることなどもやってみよう、と書いた。

昨日私が書いたように、ドーパミンをあまり出さない生活習慣が
ドーパミンを出せない病に陥っていくのだとしたら、
ちょこちょこドーパミンを出す行為を生活に取り込むのは悪くない。

興味の無かったことをやってみるという事の一つとして、
競馬場に行ってみようと思っていたが、
ここはやっぱり馬券も買ったほうがいいのかもしれない。いいのかなあ。



誰しも何かに依存はしてるよね。
といった言い方は、自分は深刻な依存を抱えていないと思っていたり、
身近に依存症の人がいる経験など無い人から聞かれるような気がする。

〇〇が欠かせない、やめられない。
というのと、依存症という病気との境目は、何か。
快感を感じる、脳の報酬系に、何が起きているのか。



亡父は、煙草をやめている間、そのことも、こと細かに日記に書いている。
ちらりと見たことがある。
「煙草を吸わずに〇日〇時間〇分」とか。

ニコチン中毒者が、「やめる」と決めるだけで
どのようにやめて、どのようにやめ続けて、どのようにやめるのをやめたのか、
日記に書いてあるはずだ。

ひとまず、亡父の日記は棄てないで、
今度、禁煙の部分と、私に言われて驚いた日の部分だけは読んでみようと思っている。
片付けが済んだら、ね。
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