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2019年02月17日10:44

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顔真卿ー王義之を超えた書ー東京国立博物館

目玉の「祭姪文稿」は、行列に並んで1時間ほど待つ。
そもそも、平成館に入るところも10分あまり待つし、
入ってから受付までも30分以上待つ。
待ち時間だけで2時間を予定する必要が有る。

というのはイヤなので、朝一番に行った。
9時半開館に合わせて行った。
早めに行って並んでいる人たちの列が進んだ後に到着したので、
列に並んで待つ時間は少なくて済んだ。

平成館に入ったら、すぐにロッカーに荷物を入れて、
それから受付に並び直した。
まあ、会場内にもロッカーは有るし、当日の再入場は可能なのだが。



やはり、肉筆にまさるものは無い。
墨の線とは不思議なもので、立体感が有るのだ。
それが、写真に撮って印刷すると、平板になってしまい、
筆の動きを見て取ることが難しくなる。

もう一つの目玉は、懐素の「自叙帖」だ。
題字が篆書で大きく書いてある。
少しかすれるくらいの墨で書いてあるので、
筆の動きが分かりやすい。
筆がどのように進み、毛がどのように後からついて行ったか、
よく見える。
篆書の筆遣いが見える。

行草楷でも、筆鋒がどこを通ったか、筆をどんな角度で使ったのか、
墨の乗り具合で見て取ることができたりする。

肉筆でそういった見方に慣れれば、印刷を見ても分かるようになるのかもしれない。



石碑の書を習うとき、お手本はA4くらいのサイズになっている。
それを左に置いて見ながら、半紙に書くわけだ。

しかし、元は一枚の紙に取られた拓本だ。
石碑一面を覆う大きさの紙なのだ。

そういう、元の大きさの拓本をそのまま見られるのも、良い。
こんな石碑が立っていたとか、山の岩場にこんなサイズで彫られていたとか、
イメージすることにつながる。

そして、岩の質感や、石碑の黒さや輝き、何と言ってもその重量感、
そういったものも、臨書する時にイメージしても良いかもしれない。



書の変遷が理解できるような展示になっている。
書の在り方の転換ポイントが顔真卿だ、という主旨なのだろう。

雑多なものが整えられ、基本的な形というものが出来上がり、
それがまた崩されていき、
という歴史のパターンが見える。
また、東洋館でも補うような内容の展示をしている。

平成館に入って右手の展示室では、現代日本の書も展示されている。
わけわからんとこまで崩された書を見ることができる。
言葉を伝えたり記録したりするためにできた文字を書くことが
書の始まりだったが、
それが崩しに崩されてゲージツになっているところまで見られるわけだ。



昼休みを挟んで、結局のところ私は5時の閉館まで、いた。
丸々一日がかりだった。

24日まで。
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