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2019年01月16日10:36

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顔真卿「顔勤礼碑」

[あらすじ] 東京国立博物館で顔真卿展が有る。
正直言って好きじゃないから書いてこなかった顔真卿だが、
見に行く前に臨書して、知っておきたい。
ここまで、「郭虚己墓志銘」「多宝塔碑」「麻姑仙壇記」と臨書してきた。

碑文などの全部を臨書するのを全臨と言う。
書を始めた頃は、わけもわからずに全臨していたが、
いくつか書いていくうちに、全臨することもないと気付いた。

というのも、なんなら二千年近くも経っている石碑である。
傷んでいる。
欠けていたり、割れていたりする。
何度も拓本を採るうちに摩耗してきたり墨が載ってしまったりして
文字の輪郭が鈍くなる。
それを彫り直したりする。
彫り直す際に間違ったり、輪郭が広がってしまったりする。

明瞭でない部分を書くには、そういった経過についての知識や、
欠損を補うための知識が必要だ。
初心者にはそんな知識も無い。
しばらくは五體字類を傍らに、調べながら書いたりしていたが、
何かの石碑を臨書した時に、明瞭な箇所だけ臨書したほうがいいのではないか、
と思い直した。

そんなことも、先生についていればはじめに教わりそうなことではある。
後々いろんなテキストを読んでいると、そんなコツも書いてあった。
まあ、遠回りしても自力でやりたい、といういつもの自分の癖は
満足させられている。時間かかるなあ。



何が言いたいかっつうと、
顔真卿のあれこれを臨書してみているが、
どれもこれもほんのちょっとづつ書いてみているだけなのだ。
じっくり取り組んでいない。

なんというか、そこそこ形は真似られる。
力を籠めたりする感覚も、それが楽しい感じも、なんだか味わえる。

鍾繇だ王義之だといった頃の楷書や
初唐の大家たちの楷書などを真似るのは、ひと苦労だったし
えらく緊張した。
けれど、顔真卿の書は楽しくのびのびと臨書できるように感じる。

そこが、後世に受け継がれ、一般に親しまれるようになった理由なのではないか。
と、また初心者として愚考する次第。



この筆の勢いはどこから来るのか、これまた愚考した。
ひょっとして、草書の、草書の中でも狂草と呼ばれる類の
あの表現力を取り入れているのではないだろうか。

だとしたら、草書もまた復習してみると、顔真卿の楷書への理解が深まるかもしれない。

つづく
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