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mixiユーザー(id:3570727)

2019年08月09日22:03

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゚Д゚) <あなたの名前を呼べたなら (Sir / 2018年印仏合作版)

 今日から、大目玉インド映画「シークレット・スーパースター」の日本公開がはじまりましたが、相変わらず東京は新宿と渋谷のみ。しかも新宿は、1日1回(午前11時回のみ)で今の所1週間のみって、もうね…。
http://secret-superstar.com

 相変わらず、シネコンのインド映画の扱いはカルすぎぜよ。その次の「ケサリ」も一週間限定公開だし、この猛暑の中映画館へ行くスケジュール組むだけで死んだ目になりますことよ。9月以降の公開予定作はどうなることやら…げっそり
 一足先に東京・渋谷のBunkamura ル・シネマで始まったインド映画なんかは、その映画館の客層の違いもあって、わりと今までとは違う層に見てもらってるみたいで、その反響は気になりまするわ。そちらがどのくらいの期間人気を維持できるのか…ワタス、気になります!
http://anatanonamae-movie.com






あなたの名前を呼べたなら (Sir / 2018年印仏合作版) 2018年 99分
主演 ティロッタマー・ショーム & ヴィヴェーク・ゴーンバル
監督/脚本/製作 ロヘナ・ゲラ
"近くて遠い二人の世界が交差した時ー"

https://www.youtube.com/watch?v=RVtt_x5BRHM

 帰省中に急に雇用主に呼び戻された家政婦ラトナは、新婦の浮気発覚で結婚式をキャンセルしてきた"旦那様"アシュヴィンのために、その日からすぐ住み込みの家政婦業に戻っていた。

 新婚夫婦の世話係として雇われたはずのラトナだったが、いまや傷心の旦那様一人を相手に高級マンションの同じ部屋で生活する日々が続く。
 彼女にしても、生活費免除で実家への仕送りも出来るこの仕事をやめるわけにはいかない。妹の卒業までの学費を捻出し、裁縫を学んで自立したいと言う夢を追うラトナは、米国で作家になると言う夢を諦め結婚も挫折した旦那様を元気づけるため、自分が未亡人である事・田舎で未亡人が生きていく術はないために都会に出てきた事・人生は常にやり直せる事を思い切って話して聞かせる。
 これをきっかけに、今までろくに日常会話を交わすこともなかった2人はお互いに歩み寄り思いを交わし始めるが、双方の立場・生活の違いが改めて2人の壁となって現れて…




わーい(嬉しい顔) 印米仏を拠点に、映画・TVドラマ制作や社会福祉活動などで活躍しているロヘナ・ゲラの、長編映画監督デビュー作となる印仏合作映画。
 1993年の同名ヒンディー語映画(インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語)とは別物。

 カンヌ国際映画祭で上映されたのを皮切りに世界中の映画祭で上映された他、フランス語版「Monsieur(旦那様)」、ドイツ語版「Die Schneiderin der Träume(夢の仕立て屋)」、ハンガリー語版「Tű, cérna, szerelem(針、糸、愛)」、ヘブライ語版「Adoni」、イタリア語版「Sir - Cenerentola a Mumbai(ムンバイのシンデレラ)」、スペイン語版「Señor(旦那様)」他で一般公開されている。
 2019年夏に日本でも一般公開。この時点では、インド本国ではまだ公開されていない。

 ほとんどがムンバイの高級マンションの一室で行われる室内劇を中心に、指示される側の家政婦と指示する側の雇用主と言う「同じ室内に居ながらにして、衣食住全てが異なる両者」の歩み寄りに見えてくる、様々な社会の有りようを静かに美しく見つめた佳作。
 劇中なんども繰り返される、1枚の壁越しに全く異なる2人の生活スタイルと、そこに現れる両者の人生観・未来への展望の差が、劇の進行とともにインド社会の有り様をもあっけらかんと見せつけてくる。そのカメラの横パン運動の客観性もあいまって、なんとも詩的な映画空間は「サマーウォーズ」や「おおかみこどもの雨と雪」あたりの細田守映画にも通じる美しさでありますことよ。

 アメリカ帰りのアシュヴィンはテーブルに椅子の生活、食事はナイフとフォーク、ラフな服装やレトルト食に慣れているのに対し、ラトナは床に直に座って手づかみのインド式食事に「分をわきまえる」インド式礼節を行動規範にしている。同じヒンディー語を話していても、かたやアメリカ英語との併用、かたやマラーティー語(西インド マハラーシュトラ州の公用語)を母語とした上でのヒンディー語での会話と言う生活文化の差異。
 鮮やかな布地を巧みに合わせたラトナのサリーの着こなしも注目どころであると同時に、変わろうと前進するラトナの心意気を表現するそのファッションは、しかし田舎への帰省中は「未亡人」としての慣習から否定される。ラトナの中に沸々と湧き上がっているファッションへの思いが、日々彼女が身につけるサリーの組み合わせ、着こなし方に現れているだけに、喜ぶべき家族との再会の場での「未亡人」としての自身のありようが余計に無常感を誘う。
 そんなラトナがムンバイへと戻るバスの中でアクセサリーを取り出して脱皮するかのように1つの自由を手に入れるシーンは爽快ながら、その先に待っている「家政婦」としてアシュヴィンたちの世界からは1段低い場所にしかいられない現実もまた、色々と考えてしまう部分ではあるものの、それを「当然のこと」として受け入れながら「人生はいつでもやり直すことができる」とハッキリと口にする彼女の強さもまた、美しい。

 同じ家政婦仲間として助け合うラクシュミと一緒に屋上で一休みするラトナの晴れ晴れとした表情が可愛くもあり切なくもありに見えるシーンも秀逸だけど、後半重要モチーフとなるこの屋上から見たムンバイの街の広がりという、セレブたちを一足飛びに飛び越えた天上からの視点とも思えるラトナの見る世界が、2人の関係の微妙な距離感に効果的なスパイスとして機能している演出もニクい。
 であるからこそ、ラストのラスト、タイトルを効果的に見せつけるあのシーンが「天上からの視点を匂わせる屋上」を舞台にしているという点は、2人のこれからにとって吉兆のようにも見え、不穏なようにも見えてくるアンビバレンツ。ああ、美しくもほろ苦い恋物語が、両者の望む形で終わってくれることを願うばかり…。


監督インタビュー(英語 / 字幕なし)

https://www.youtube.com/watch?v=3fJPiiDCw7Y


受賞歴
2018 独 Braunschweig International Film Festival 作品賞
2018 仏 Cabourg Romantic Film Festival パノラマ部門観客賞
2018 仏 Cannes Film Festival GAN基金賞
2018 米 Mill Valley International Film Festival ワールドシネマ部門観客賞
2018 蘭 World Cinema Amsterdam 観客賞



・あなたの名前を呼べたなら を一言で斬る!
「『ありがとう』を、ヒンディー語の『ダンニャワド』でなく『サンキュー』『タンキュー』で語るのも、2人の間の文化的壁であると同時に、インドが抱える社会的隔たりってやつでしょか(そもそも、インドでは『ありがとう』はあまり多用しない単語って話だけど)」
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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年08月11日 16:18
    以前、香港の映画祭で観た時は、最後にラトナが「Sir」じゃなくて相手の名前を呼ぶところに“新鮮味”と“意外性”を感じて「おぉ〜!そう来るか!?」と驚きをもって感動したものですが、邦題だとなんとなく最初っからネタばれ?しちゃってる感じもしないでもないでもない?(笑)けど、まあこれでもいいんでしょうね^^;?
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年08月11日 17:00
    > mixiユーザー あそこ、いいシーンですよねえ。
    日本の感想読んでると、「最後まで見て邦題の意味がわかった!」「ラストシーンで邦題の重みがグッと増した!」と喜んでる人たちが多いみたいなので、まあ、いいかなあ…と思っておりまっす。って、私は邦題を先に見ての感想だからかもですが。

    タイトルでいえば、イタリア語版タイトル「Sir ムンバイのシンデレラ」って言うのも、イタリアらしいと言うかやりすぎ感ハンパないなあ…とか色々と比べるとおもろいですw
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年08月11日 18:46
    私のマイミクさんが感想を上げられているのですが、主人公が高級店に入っていったらたちどころにつまみ出される場面で、見た目には主人公も立派ななりをしているように見えるのに、どうして階級が瞬時にわかってしまったのだろう・・と書かれていました。
    言葉を発したならばすぐにわかるだろうとは想像できるのですが、私は観ていないので、その場面がよくわかりません。(きっと何か言う前につまみだされたのだろうと思いますが。)
    ユーリさんには、ご想像がつきますでしょうか?
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年08月11日 18:59
    > mixiユーザー 
    多分ですが、「安物のサリー着てたから」もしくは「店員にすぐ命令しなかったから」富裕層と思われずに窃盗犯かなにかの不審人物だと思われたってことだと思います。

    インド行ったことない身なので実際はどうかわからないですけど、ああ言うお店は海外経験のある富裕層のみを相手にしているので、普段から西洋風の身なり・店員にすぐ要求を語るお客ばかりで、お店もそのスタイルでの商売やってる所に、そうじゃない客がきたので挙動不審に見えたってことなのではなかろか…と解釈しました。
    ラトナにとっては、ちゃんとした外出着なんですけど、ああ言うお店では不審者扱いされてしまうと言う所にも、衣食住が経済レベルごと・住環境ごと・職業ごとに違うインドという社会が見えてくるんでしょう…。
    あのシーンは、本当にキツいインド社会の有様を思いっきり見せてくれますわ…。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年08月11日 21:48
    なるほど。なにしろすべてが違ってしまう文化圏ですものね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年08月11日 22:05
    > mixiユーザー 
    履いてる靴まで、それぞれにルール(買える範囲の格差)がありますからねえ。
    あるいは、手で触って布地を確かめられる下町の買い方と、目で買う高級店の違いというのもありそうで、どんだけ格差というか生活文化の差が同じ空間に同居してんだろう…と思えてしまう状態みたいですねえ。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年08月14日 08:32
    はじめまして。
    44ヨシモトさんのマイミクでございます。

    私は一応インドに行ったこともあるのですが
    あのシーンは解せませんでした。
    あそこでラトナは一言も発しませんでしたものね。
    でもその後、この映画の監修者の
    ”インドの人たちは初対面の人を目の前にすると、相手の出身カーストや職業、知的レベルなどを瞬時に読み取り、それ相応の対応をする”
    という言葉を紹介してくれた人がいて、深く納得したのでした。
    この監督本人が、インドの現状ではこの映画のようなことはあり得ないと言っていることが、切ないですよねえ。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年08月14日 18:08
    > mixiユーザー 
    初めまして。
    コメント頂きまして、ありがとうございます。

    トークイベント回に参加されたのですね。羨ましい!
    インドは、とにかく初対面の人の背景文化を察知しておかないと、何かとコミュニケーションが取れない事態になってしまう…というのもあるんでしょうねえ。外国人が下手に出てると「卑屈の態度をとる=身分の低い奴」と思われる…とどこかで旅行ガイドの方が言ってましたっけ。難しい&めんどくさい…。
    ある程度の富裕層から上の間では、グローバル化に伴い感覚が変わって来てると思いたいんですけど、ことインド人同士となるとそう簡単には変わらないんでしょうねえ…。

mixiユーザー

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