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2020年09月10日09:46

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9月10日(木) #2096 重大発表致します

おはようございます。木下藤吉郎です。


今から60年前の1960年(昭和35年)の今日、テレビのカラー放送が始まりました。

■ 1960年代 カラー放送スタート | パナソニック テレビと家電の歴史 | テレビ ビエラ | 東京2020オリンピック・パラリンピック公式テレビ | Panasonic
https://panasonic.jp/viera/history/1960.html


また、今から110年前の1910年(明治43年)の今日は、作曲家の平井康三郎(ひらい こうざぶろう)さんの生まれた日です。
※ 2002年(平成14年)11月30日没、92歳。

■平井康三郎 - TOWER RECORDS ONLINE
https://tower.jp/artist/331782/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E5%BA%B7%E4%B8%89%E9%83%8E
























9月10日 木曜日

この時季になりますと、10月のいわゆる大型改編期という事で、3ヶ月1クールのドラマだけでなく、バラエティ番組やニュース番組といった大きい番組も最終回を迎えたり、リニューアルしたりといった事が起こりやすくなります。

こうしたタイミングで今回このようなタイトルを設定したところで、もはやご覧の皆様もうすうす感づいていらっしゃるのではないかとも思います。

2011年11月よりmixiで書き始め、かれこれ9年が経とうとしている「朝の歳時記風日記」ですが、まもなく迎える事になります第2100回目をもちまして、「朝の歳時記風日記」としては最終回と致します。

そして、その後しばらくは充電期間を設けまして、概ね10月あるいは11月をめどに、週一回更新の新しい形で日記を再開していこうと考えております。更新する媒体・アプリケーションは従来通りmixi、Facebook、LINEのタイムラインとしますが、動画を収録した旅行の日記を作成したケースにおいては、YouTubeにも投稿していこうと思っています。

そして、この「朝の歳時記風日記」の終了後、ハンドルネームも変更しようと考えております。9月現在では「つれづれの木の下藤吉郎」又は「(木下)藤吉郎」という名前を用いていますが、10〜11月あたりからは「みんなのキノピー」という名前に変更を考えています。(Facebook、LINEでは従来通り)

なぜこのような大がかりな改変を考えたのかと申しますと、一つは、趣味が多方向に動き回り過ぎて多忙化した為に、日記の更新が土日を除く週5日でも難しくなってしまった事があります。また、多忙化の原因にはコロナ禍の影響で運送関係の仕事手伝いである「本業」が激務化した事実もあります。

もう一つは、旅行をする楽しみだけでなく、その思い出を整理する事もまた最近は楽しみの一つになり、2017年8月より「ステーションメモリーズ!(駅メモ!)」を開始してからは、そちらに関連した記事も多くなり、「朝の歳時記風日記」と両立しているうちに、気がつけば写真が大量に溜まってしまい、Googleフォトを見つけられるまでは端末の容量が逼迫する事態にまでなるほど、撮り溜めでスマホも私の頭もパンパンに膨れ上がる事態に陥っていました(´-ω-`)ξ

旅の思い出をYouTubeに投稿する事も思い浮かび、何点か投稿もしましたが、時を同じくしてYouTubeでの動画投稿のルールがやや厳しくなり、画像とその切り替わりアニメーションが中心だった私の動画作品では、下手をするとボツになる危険性も高まってしまったので、そこも見直しを迫られました。

ユーチューバーは、暇さえあればスマホやビデオカメラで何かしらの動画作品を作っては投稿するのが当たり前と聞き、流石にそこまではとは思いつつも、動画の収録が週一はおろか最大で1年以上制作と編集に時間がかかっている現実を考えますと、趣味の整理が緊急の課題であるという結論に至りました。

そして、ハンドルネームの変更の理由ですが、もともと「藤吉郎」という名前は過去に働いていた職場でついた愛称であり、個人的に悪くはないと思っていたので、特に深くは考えず使っていました。

しかしその職場に別れを告げてから10年が過ぎており、また37歳を迎えたあたりから今の職場で「キノピー」という愛称が定着するようになりました。

藤吉郎というのは、皆さんもご存じのように豊臣秀吉(羽柴秀吉)の幼名であり、豊臣秀吉は天下統一を果たし大坂城(大阪城)や伏見桃山城の建設を命じた偉人ですが、一方で秀吉は「刀狩り」や、「踏み絵」の遠因となるキリスト教の禁止など、強権政治を敷いた事もまた有名であり、へんに歴史上の偉人に詳しい人に偏見を持たれるのも不愉快になりかねないと、私は思いました。
※ 織田信長は逆にキリスト教など異文化コミュニケーションに寛容だった。

そんなわけで、さらに年齢の37と、サンリオの「みんなのたあ坊」なども掛けて「みんなのキノピー」にしようと思い立ったのです。

なお、来年になりますと当然私は38になってしまいますが、特に「みんなの」は37だけにこだわったものではないため、そこは変えないつもりです。

というわけで、一気にごちゃ混ぜで書いてしまいましたが、残り少ない「朝の歳時記風日記」と「つれづれの木下藤吉郎」としての私を、何卒、宜しくお願いします。

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