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2020年07月30日09:59

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7月30日(木) #2074 コロナ対策に物申す(終)

おはようございます。木下藤吉郎です。


今から40年前の1980年(昭和55年)の今日、バヌアツがイギリス、フランスの共同統治下から独立しました。(イギリス連邦加盟国)

■バヌアツ基礎データ|外務省
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/vanuatu/data.html#section1


また、今から80年前の1940年(昭和15年)の今日は、俳優の斎藤晴彦(さいとう はるひこ)さんの生まれた日です。
※2014年(平成26年)6月27日没。73歳。

■【あくまで人名辞典】サティからクルト・ワイルにエノケンも 斎藤晴彦 - 芸能 - ZAKZAK
http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20110413/enn1104131552013-n1.htm
























7月30日 木曜日

さて、もういよいよ今週も週末が近づきつつあり、明日は違う話題を書き込む予定にしておりますので、今回で「コロナ対策に物申す」シリーズは結びにしたいと思います。よって、今回はまとめのような復習のような、そんな回になるだろうと思います。

まずは今一度このシリーズの心棒とも言うべき5つの項目を、度々ですが挙げたいと思います。

,箸砲く国は医療機関に補助金を投入せよ。

公立病院を少なくとも2009年新型インフルエンザ大流行の時期のレベルまで回復、増床すべき。

私たちは、医療緊縮政策が日本国憲法第25条の2に違反している事を知らないといけない。

GoToキャンペーン自体は間違いではないが、今のタイミングは明らかに問題であり、弱者へのバイオテロになりかねない。

ゥ宗璽轡礇襯妊スタンス(人との適度な間隔)は、過度に意識すると人間不信や関係の崩壊、別の意味で命に関わりかねない事態に至る恐れがあり、正しい認識の仕方をもっと教えていかねばならない。

改めて、どれも外せない内容だなという自画自賛はさておいて、これら5つの項目のうち、多少面倒とか重いとかいう理由である程度は削らざるを得ないとした上で、それでもこれらだけは押さえるべきだと私が強く思いますのは、△鉢イ旅猝椶任后

△聾世錣亅,龍饌領磴琉譴弔鵬瓩ないものですが、最低限の国が為さねばならない仕事はまずそこではないか、というのが持論の一つです。PCR検査の拡大が求められているにもかかわらず、一部の自治体では首長の権限で止められているという話をちらほら耳にしたり書き込みで目にしたりするのですが、その元凶は恐らく、公立病院の少なさと、そこへ回すべき税金を利権の絡むものに注ぎ込んでしまっている事にあるのではないかと私には思えてなりません。

そもそも、病院は患者の病気を治したり軽減させたりして、いい意味で二度と来て頂かなくて済むように進めるのが、ゴールと言うべきものではないでしょうか? ともすれば、病院は患者の治療費と国や地方自治体からの請求収入でやっていくにしても、その収入高が高額過ぎるのは不自然という事になるのではないでしょうか? 医者や薬局ではなぜ去り際に窓口の方が「ありがとうございました」ではなく「おだいじに」と仰るのかをちょっと考えれば、病院は営利ではなく公的機関である事が自明ではないでしょうか? 病院は人件費や医療器具の経費などを考えれば、言ってしまえば赤字経営なのが当たり前であり、だからこそ国や地方自治体が、人の命を預かり、日夜奮闘されている特別な人々と讃えるが如く、医療機関には税金を多めに充てるのが、あるべき姿ではないかと、私は強く思うのです。

国(政府)や地方自治体だけの問題ではありません。イ六笋燭噌駝韻わが事として真剣に向き合わねばならない問題と言って過言ではないように思います。

今や、国民の間では「コロナは人殺しアメーバ。無症状感染者の旅人は分からず屋」という派と「コロナは所詮ただの風邪」派と「よう分からん」派のに3つに分かれているきらいを感じてなりません。マスメディアから度々感染拡大の報道が流れて来る現実を思えばある程度は仕方の無い事かもしれませんが、怖いウイルスや菌は果たしてコロナウイルスだけなのでしょうか? いえ、インフルエンザウイルスもノロウイルスも、「終息」や「根絶」はされていませんし、一般の既知のウイルスに溶け込んでいるに過ぎません。

ですから、今国に出されている「新しい生活様式」というのも、一部を除いてはもともと人が日常生活の中で励行すべき感染症対策だった筈なのです。何ら真新しいものではなく、忘れられていた習慣を復活する機会だったと言えなくもないのです。

一部を除くと示しましたのは、ソーシャルディスタンスの過度な意識が、かえって人を「感染症による死」よりも深刻な「人間関係崩壊による自殺や孤独死」に陥らせかねない要素を孕んでいるからです。

それに、合コンや宴会が感染症対策で中止を余儀なくされるのは仕方ないにしても、こうした人と人との出会いが失われれば、若者が結婚する機会をみすみす失わせる事態にしかねず、オンラインでの交流も実態をよく知らないままの関係では長続きしないものですし、だからと言って女性にとっては、見ず知らずの男性に個別で出会うのはストーカー殺人事件などの恐怖にもなりかねません。それを思えば、結局は「濃厚接触」を完全に封じるのはほぼ不可能であり、感染者が毎日のように現れて来る事は当たり前とある程度開き直らねばならない、そういう所まで来ていると言わざるを得ないのではないかと、私は思うのです。

ですから、政府や地方自治体は一刻も早く、いつどこで感染者及びそれと疑わしき方が現れようとも、検査や診察・治療をして元のように回復できる仕組みを作らねばならないと強く思います。そして私たちは、やはり「移されない」事より「移さない」事への意識を高め、とりわけ高齢の方や弱者の方に接する機会がある場合はマスク着用と一定の距離を取りながらの交流を心がけ、日ごろから体調管理を徹底する事が改めて重要となったと言えましょう。企業も、真に利益を増やしたいならば、陰から支えている従業員の命を守るべく、無駄な残業を避けて、ストレス発散のために夜遅くまで酒を飲んだくれる必要もない、さわやかな環境に変えていく必要があるのではないでしょうか。

というわけでグダグダなまとめになってしまいましたが、これをもちまして一連のシリーズを締めたいと思います。

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